第38章 イギリスの革命~名誉革命~ | 雲をつかんだ日

第38章 イギリスの革命~名誉革命~

国王の死後、イギリス国内はクロムウェルを中心とする独立派と、一般市民の政治参加を求める水平派との間で対立がおきます。
元は王党派を倒すためにクロムウェルが組織した軍隊から生まれた水平派だったわけですが、王党派を倒した今となっては邪魔な存在となったのか、ピューリタンを中心とした「聖者の軍隊」と呼ばれる新型軍を編成し、武力を持って議会を解散させました。
そして、クロムウェルは護国卿(ごこくきょう)という地位に就きました。
護国卿とは、立法・軍事・行政・外交を一手に担う、国王と同じような力を持つものでした。

独裁者となったクロムウェルは、演劇や音楽会、祭りに飲酒も禁止します。
こうした政策に閉塞感を覚える人達も多く、王政の復活を望む機運が高まるなか、急な病に倒れ、1658年9月にクロムウェルは亡くなりました。

その後、オランダに亡命していたチャールズ1世の息子チャールズ2世が、「ブレダ宣言」を発します。

これは、革命中におこった全ての言動を許し、信仰の自由を認めるものでした。

チャールズ2世

イギリスの国民はこれを受け入れ、1660年に王政復古が実現します。

チャールズ2世は議会と協力して国政の運営にあたりましたが、後を継いだ弟のジェームズ2世は、熱心なカトリックであったため、国民にカトリックへの改宗を強制し、従わない者は投獄、もちろん議会は閉鎖。

ジェームズ2世

そんなジェームズ2世に「待った」をかけたのが、彼の長女のメアリでした。
メアリが嫁いだオレンジ公ウィリアムは、熱心なプロテスタント国家であるオランダの総督でした。
1688年2月、ウィリアムは大船団を率いてイギリスに上陸します。
すると、イギリスの国王軍は逃げ出してしまい、戦わずしてオランダ軍が勝利し、ウィリアムとメアリがイギリスの共同統治者となりました。

この革命を、「一滴の血も流さずに成し遂げられた」という理由から「名誉革命」と呼ばれています。

オレンジ公ウィリアム


メアリ

ウィリアム(3世)とメアリ(2世)によって、「権利の章典」が発布され、議会と国民の権利が保証されることとなりました。
こうして、イギリスでは王政に戻ったわけですが、国王は何の権力も持たない"君臨すれど統治せず"の原則が確立されるのです。