『天皇賞・春(4歳上G1京都芝3200m定量18頭)』予想 | 雲をつかんだ日

『天皇賞・春(4歳上G1京都芝3200m定量18頭)』予想

■天皇賞(春)
天皇賞(春)は、京都競馬場・芝3200メートルを舞台に古馬最高の栄誉を懸けて争われる、長い歴史と伝統を誇る競走である。

■天皇賞の前身
1905年(明治38年)の5月6日に横浜の日本レースクラブが、明治天皇から「菊花御紋付銀製花盛器」を下賜されたことにより創設した「エンペラーズカップ」が天皇賞の前身。翌1906年(明治39年)には東京競馬倶楽部にも御賞典が下賜され、その後、阪神、福島、札幌、函館、小倉の計7つの競馬倶楽部で「帝室御賞典競走」として行われるようになった。

■第1回
1936年(昭和11年)に「日本競馬会」が設立されて、翌1937年(昭和12年)に各競馬倶楽部が「日本競馬会」に統合されたのを機に、「帝室御賞典競走」は春が阪神、秋が東京と、東西で年2回開催される現在のスタイルとなり、同年の秋のレースが第1回の天皇賞とみなされている(東京競馬場・芝2600メートルで開催)。その後、第2回の1938年(昭和13年)春は阪神競馬場・芝2700メートルで、3歳以上の馬によって争われ、第3回の同年秋からは、「4歳以上、芝3200メートル」の競走条件となり、能力検定競走として非公開で行われた1944年(昭和19年)春まで「帝室御賞典競走」の名称で行われていた。

■戦争による中断と再開
1944年(昭和19年)秋から戦争の影響で中断されたが、戦後の1947年(昭和22年)春に「平和賞」の名前で復活したのち、同年秋から現在の「天皇賞」に改称され、春は京都競馬場、秋は東京競馬場で開催されることになった。

■競走条件の変遷
1981年(昭和56年)春に“勝抜制”が廃止されて、過去の優勝馬にも出走権が与えられるようになった。これまで、タマモクロス(1988年春・秋)、スーパークリーク(1989年秋、1990年春)をはじめ13頭が2回以上天皇賞を優勝している。

長年、「4歳以上、芝3200メートル」という条件で行われていた天皇賞であるが、1984年(昭和59年)の競馬番組の変革により、秋は距離を芝2000メートルに短縮し、さらに1987年(昭和62年)から秋の天皇賞には3歳馬が出走できるように条件が変更された。これにより、春は4歳以上のステイヤー日本一を決めるレース、秋は3歳以上の中距離ナンバー1決定戦と、その性格が明確に分けられた。

(JRA)



昨秋のステイヤーズSを勝って、今春の阪神大賞典を完勝し、押しも押されぬステイヤーに成長したテーオーロイヤル。
デビュー12年目の菱田裕二騎手のG1初制覇と合わせて、応援します。

菊花賞馬ドゥレッツァが相手筆頭になりますが、前走内容、中間の動きはいまいちでした。

ブローザホーンはステイヤーというタイプではありませんが、抜群の安定感があり、ここでも大崩はしないでしょう。

昨年の3着馬シルヴァーソニックが、長期休養明けを一度使われ、本調子を取り戻しています。

近走精細を欠いていますが、久々に稽古の動きで"らしさ"を取り戻しているディープボンドの一発もあり得ると思います。

あとはワープスピード、プリュムドールと、武豊騎手を鞍上に迎えたサリエラまでが圏内です。



◎テーオーロイヤル
○ドゥレッツァ
▲ブローザホーン
△シルヴァーソニック
△ディープボンド
✕サリエラ
✕ワープスピード
✕プリュムドール