第38章 イギリスの革命~チャールズ1世の暴走~ | 雲をつかんだ日

第38章 イギリスの革命~チャールズ1世の暴走~

イギリスでは、13世紀に議会が設置され、国王といえども、議会の承認なくして政治を行うことはできませんでした。
しかし、1603年にエリザベス1世が亡くなると、ジェームズ1世が跡を継ぎました。
ジェームズ1世は、スコットランド、アイルランドの王でもありました。
今では、イングランドとスコットランド、それにアイルランドの一部をさしてイギリスと呼びますが、当時は別々の国でした。

ジェームズ1世は王権神授説を説き、「国王の権利は議会に制限されるべきではない」と主張しました。
ただ、彼の外交努力は高く評価されており、近隣諸国と折り合いをつけていくために、自らが政治を主導していきたかったのでしょう。

しかし、跡を継いだ息子のチャールズ1世はちょっと違ったようです。
チャールズは父の説いた王権神授説を利用して、議会の廃止を目論みます。
当時の議会はジェントリとよばれる大地主や、裕福な商人が中心になっていました。
また、実際に地域の政治を行っていたのもジェントリでした。
しかも、彼らは無給で政務に就いていましたから、一定の尊敬も集めていたようです。
そんなジェントリの多くが、ピューリタン(清教徒)でした。
ピューリタンというのは、ローマ教皇を頂点とするカトリックに対し、聖職者の特権を認めず、人は神の元にみな平等であるという信仰を持った人々で、ヨーロッパ諸国でいう新教徒のイングランド版だと思っていいでしょう。

そんなピューリタンを弱体化させるために、チャールズは国教会(こっきょうかい)の信仰を強制し、「ピューリタンもカトリックも国教会の教義に反する者は厳罰に処する」と宣言しました。
国教会とは、国家が主体となって運営を行うキリスト教教会のあり方で、その頂点はローマ教皇ではなく、国王でした。
そして、チャールズは実際、国教会の教義に反した者を見せしめに、広場で耳を削ぎ落とすなどの処罰を課しました。
これに議会が猛反発すると、国王の権利として、議会を解散させてしまいました。


チャールズ1世