第一章 悟りへの道~百姓の歌~ | 雲をつかんだ日

第一章 悟りへの道~百姓の歌~

カピラヴァストゥでは父親のスッドーダナが、お釈迦様のことをとても心配しておられました。
そこで、スッドーダナは五人の仙人をお釈迦様の元へ送り、守護しながらともに修行をするように命じました。
その五人はお釈迦様とヤショーダラの親類でした。
彼らは影のように付き従い、お釈迦様のそば近くで修行に勤しんでおられました。

お釈迦様のされました修行は、それはそれは凄まじく。
断食に次ぐ断食で、髪はボサボサ、目はくぼみ、骨はあらわに、お腹の皮と背中の皮がくっついていたといいます。
その修行の様を、「あとにも先にも、私ほど苦行に身を投じた者はいないだろう」と、後にお釈迦様自身が語っておられます。
しかし、いくら苦行を重ねても、悟りを得ることはできませんでした。

あれ、苦行では悟りは開けないということは、黒山の修行で気づいたはずですよね。
それでも、再び苦行に身を投じたということは、苦行では悟りは開けないけど、苦行が無駄ではないということでしょう。
よく「バッティングマシーンを使った練習は意味がない」という人がいます。
確かに、マシーンから投じられる球は規則的であり、人間のピッチャーが投じる球とは違います。
ただ、マシーンから投じられる球であっても、バットの芯でボールをとらえたときの視覚を確認したり、ボールを押し返す感覚とかを身に付けるのには役に立つと思います。
しかし、ここでやってはいけないのは、マシーンのボールを打つための練習をするということです。
マシーンを使った練習が無意味なわけでばなく、使い方を間違えると無意味になりかねないということです。

苦行時代のお釈迦様は、バッティングセンターでマシーンを相手に百発百中で的に当てるような、修行をされていたということだと思います。
そんなときに、ナイランジャー川(尼連禅河)の堤の上で民謡を唄い、踊る百姓の姿がありました。
お釈迦様はその歌を別に聴いていたわけではなかったかと思いますが、歌の方から入ってきたのでしょう。
滅多にあることではありません。
私の場合、1996、7年頃だったと思いますが、帯広市のラーメン屋さんで経験があります。
初めて聞いた曲なのに、どんどん詞が入ってくるんです。
愛だの恋だの、ありふれた歌詞じゃないのに。
思わずお店の人に使用している有線チャンネルを聞き、問い合わせてしまいました。
ミッシェルガンエレファントのキャンディハウス。

♪これくらいの一粒 するり飲み込んで
 イチゴジャムのついた 皿をもてあそぶ
 錆びたキッ…

あつ、すみません。
お釈迦様の心に飛び込んできた曲ですね。

♪弦が強すぎれば弦は切れる
 弦が弱すぎれば音は鳴らぬ
 緩急正しく調子を合わせ
 手降り足振りリズムに踊れ

「これだ!これは天の声だ」。
そう感じたお釈迦様は苦行林をあとにし、ナイランジャー川で沐浴を始めたのでありました。



(合掌)



ご参考までに…。