第一章 悟りへの道~お釈迦様の誕生~ | 雲をつかんだ日

第一章 悟りへの道~お釈迦様の誕生~

お釈迦様の本名は、ゴータマ=シッダールタです。
それなのに、なぜ「お釈迦様」と呼ばれているのかというと、シッダールタの生まれが、シャカ族の王子だったからです。

シャカ族の国というのは、カピラヴァストゥ(迦毘羅衛=かびらえ)というインドの北、今のネパールにあたるタラーイ盆地にありました。
カピラヴァストゥは一説には愛知県くらいの大きさであったとされ、回りを十六の大国に囲まれていました。
そんな状況ですから、案の定、のちにこの国は滅ぼされてしまいます。

シッダールタが王子として生まれたということは、当然お父さんは王様で、シュッドーダナ(浄飯王=じょうぼんのう)といい、お母さんはマーヤ妃(摩耶夫人=まやぶにん)といいました。
しかし、王と王妃はなかなか子宝に恵まれず、ようやく子供を授かったのは王妃が30歳のころだったとされています。
待ちに待った子供ですから、王は王妃をいたく大切にしたそうで、いつまでも自分の元に置いておきたかったようです。
当時のインド地方では、里帰り出産が一般的で、マーヤ妃もそうする予定だったのですが、シュッドーダナがなかなか帰してくれなかったため、実家に向かう途中で産気づいてしまいます。

マーヤ妃一行は、ルンビニー(藍毘尼園=らんびにおん)という美しい園でひと休みすることにしました。
すると、そこには綺麗なアショーカの花が咲いていました。
このアショーカの花にマーヤ妃が手を伸ばしたときに、赤ちゃんが生まれました。
このとき産まれた赤ちゃんこそが、ゴータマ=シッダールタ、お釈迦様です。

お釈迦様誕生の話、ここで終わらせておけばいいものを、マーヤ妃は右脇の下からお釈迦様を産んだとか、お釈迦様が生まれてすぐに前後左右に七歩ずつ歩き、さらに上に七歩、下に七歩あるいてから、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」とおっしゃったと言う作り話を付け加えちゃうから、うさん臭くなっちゃうんですよね。

ただ、これはお釈迦様の教えを広く伝えたいと思ったときに、どうしても必要なウソなんですね。
人は本来、誰がいっているか、ではなくて、何をいっているか、で、物事を判断をするべきだと思うのですが、その作業にはとても時間と労力を有するし、「こうだ」と思って出した答えが間違いで、もう一度考え直さなくてはならなくなったりします。
ですから、「この人が言っているのだから正しいんだ」という、保証付きの言葉を信じたくなるものです。

そう思わせてくれている人というのは、人知を超えた能力を持った人ですよね。
…で、お釈迦様はそのままでも十分に人知を超えた能力を持った人だったのですが、実際にお釈迦様に会った人、あるいはリアルタイムでその偉大さを耳にしていた人なら、そんな大袈裟な作り話は必要ありません。
しかし、仏教というものが組織化されて、各地に広まっていくのはお釈迦様がなくなってから、およそ100年後です。
ということは、仏教を広めようとした人たちでさえ、お釈迦様の本当の姿を知らないわけです。

私なんかは、王さん、長島さんの現役時代は見ていませんが、監督をやられている姿は見ているので、お二人の残した成績だけ見せられても、「この人が言っているのだから正しいんだ」と思える存在です。
しかし、沢村栄治さん、と言われてもピンときません。
逆に、イチローさんとなれば、説明不要で「イチローがこう言ってた」で、それはもう正解なんですね。
でも、100年後にイチローさんの言っていたことを野球少年、野球少女に伝えようと思ったら、まず、イチローさんの凄さが問答無用であることを先に伝える必要がありますよね。

「昔な、イチローっていう物凄い選手がいたんだよ。とにかく、ヒットを打つのが当たり前で、ヒットを打てなかったら、次の日のスポーツ紙の一面になったんだよ。足も速くて、イチローがスタートを切って、キャッチャーがボールを捕って、右手に持ちかえた時にはもう二塁ベース上に立ってたからな。それと、守備範囲がメチャクチャ広かった。ライトを守っていたんだけど、普通なら右中間を抜けていくような打球でも、イチローが捕っちゃうもんだから、バッターはセンターより右に打ったら走らずにベンチに帰っちゃうんだよ。『どうせアウトだろ』って。それから、肩な。ライト前ヒットで、三塁ランナーをホームで刺しちゃうんだよ。相手にしたらたまらんよな」。

そんな話をして、子供たちの目が輝いてきたら、「そのイチロー選手が『一番大切なのは完璧な準備をすること』だって、言ってたんだよね。準備をするっていうことは、柔軟体操をしっかりする、道具の手入れをする、自分のフォームを確認しておくとかいうことなんだけど、みんなはどう?"完璧な準備"よりも、"完璧な結果"を求めてない?イチロー選手はね、『手抜きをしても結果は出ることがあるけど、完璧な準備をしよう、という心には一切手抜きがないんです』って、言ってるんだよね。」と話した方が、「完璧な準備をしよう」という気持ちを育めるような気がしますよね。

ですから、仏教経典に出てくるお釈迦様は、後の世の人が作り上げたものであり、うさん臭い点は多々あります。
しかし、それは、「お釈迦様の教えを何とかして、一人でも多くの人に知っていただきたい」という、切なる願いから生まれたものだということを、ご理解いただけたら幸いです。



(合掌)



ご参考までに…。