第31章 宗教改革~三十年戦争~ | 雲をつかんだ日

第31章 宗教改革~三十年戦争~

第31章 宗教改革~三十年戦争~

カトリックとプロテスタントとの対立が続く神聖ローマ帝国で、1618年に新たにボヘミア王となったフェルディナント2世は、プロテスタントを激しく弾圧しました。
フェルディナント2世

これに抵抗した領邦(君主を中心とした半自立の支配層)君主たちは、プロテスタントのプァルツ選帝侯をボヘミア王に立てます。

ボヘミアで起きた反乱は、神聖ローマ帝国皇帝となったフェルディナント2世が指揮する軍隊によって鎮圧されましたが、これを口実に、同じプロテスタントのデンマークが軍事介入してきました。
しかし、デンマーク軍は侵入した帝国領内で、略奪などを働き、大した戦果もなく皇帝軍に敗退したようですが、次はスウェーデン軍がプロテスタントの保護に乗り出して来ました。
こちらは、王のグスタフ2世も前線に加わり、破竹の勢いを見せていました。
しかし、そのグスタフ2世が戦死すると、スウェーデン軍は勢いを失います。
グスタフ2世

国内での反乱に加え、デンマーク、スウェーデンの参戦で、国力を落とした神聖ローマ帝国に、フランスが攻め込んで来ました。
フランスは神聖ローマ帝国と同じカトリックの国でしたが、ブルボン家の宿敵であるハプスブルク家を叩くチャンスととらえたのです。

その2年後、フェルディナント2世が死去し、あとをフェルディナント3世が継ぎましたが、神聖ローマ帝国が息を吹き返すことはなく、1648年にウェストファリアで講和条約が結ばれ、ヨーロッパ中を巻き込んだ長い戦争は終結しました。
その結果、神聖ローマ帝国は領邦それぞれが小さな独立国となりました。
その小さな独立国の一つにプロイセンがあり、のちにドイツの統一に乗り出すことになります。

この戦争はのちに「三十年戦争」と名づけられます。
ルターの宗教改革から始まった対立が、ここまで拡大した大きな要因は、活版印刷を活用したプロパガンダによる影響は大きかったと考えられています。
どちらも、相手を神に背く悪魔とし、自分たちを天使に守られた正義軍という感情を植え付けたことにより、味方を殺した敵を憎み、たくさん殺すことが目的となりました。
また、この戦争は初めての国際戦争であり、今後の戦争のあり方を大きく変えることとなるのです。