宝石を着替えると、出逢う人も変わります。
たった一つの宝石が、人生をかえるかも しれません


【貴女の価値を引き上げる力のある宝石を選びます】広島の宝石コーディネーター 林 佳代です。


69回目の終戦記念日。

今日は、朝から81歳の父の通院に付き合う約束だった。
額に小さなシミができたのを、行きつけの皮膚科の先生に「悪性の可能性があるから、組織検査を受けた方が良い」と言われ、紹介状を持って一緒に市民病院へ。

父「CTをとりますって言われたら、どうしょう!」
私「なんで?」
「母さんが、CTの放射線被ばくの量は、原爆よりもはるかに大きいと言うとった。」
「・・・・」(CT撮ったら、みんな死ぬんかい。←心の声)
私「それ、肺のレントゲンの放射線か何かと間違えとるよ」
私「それに、皮膚の表面の組織検査にCTはいらんと思うよ」



何ともマヌケな親子の会話をしつつ、2Fの外科&皮膚科へ


お盆だというのに、待合は、人でいっぱい。
近代的な病院の呼び出しシステムは、年寄には不向きだ。
父を一人でこさせなくて良かったと。改めて思った。


診断の結果は、目


「癌かもしれないし、そうでないかもしれない。ごくごく初期なので、経過観察する方法もある、どうしますか?組織検査します?」

40代くらいの先生は、研修医らしき若い女性を振り返って
「君、どう思う?」

私の視線に気づいて
「あ、どう思うって事はないか(笑)」と終始穏やかな表情で。

癌かもしれないし、そうでないかもしれないのに。

先生も 父も 私も 妙にほっこりしていて、笑えた。
ま、癌も初めてじゃないし。何とかなるだろ。


私「せっかく来たんだから、組織検査してもらおう!ね、父さん」
午後からの組織検査を予約して、いったん病院を後にする。


SOGOで昼ごはんを食べる事にして、その道すがら。
「母さんはキツイ。どうしてあんなに我儘なのか、、、」と鬼の首を取ったように話す父。


確かに、母はキツイ。そして負けず嫌い。
我が父ながら、半世紀余りも、よく耐えている と言うか 持っていると感心する。
とはいえ、若かりし日、父も今の100倍短気で切れやすかったから、
我が家は、夫婦げんかの絶えない家だった。

「お前なんか出ていけパンチ!

父が叫んで、10分もたたない内に

「お母さん、買い物いこうやーニコニコ」と、何事もなかったように二人で出掛ける

立ち直り というか 切り換え の早い二人でもあった。


その後、更年期の数年。母はうつ病を患うが、
父は献身的に母の看病や病院見舞いをした。20代の私は、近くにいながら、万能で最強だと思っていた母の変わり果てた姿を見るのが辛くて、仕事を理由に逃げていた。



SOGOのレストラン街は、予想通り、人、ひとの行列だったが、合流した母が要領よく予約を入れていたお蔭で、スムーズにランチにありついた。


膳をつつきながら「お父さんは、いかなる延命治療をしても、生きといてもらわんといけん。原爆手帳があるから医療費はかからんし。死んだら、年金が半分になるし」と。
本人の目の前で、ドキっとする事を言う母。叫び

でも、わかってる。
そんな事を言いつつも。二人は今、最強に仲良し夫婦

この年老いた 二人三脚が一日でも続きますようにと。

文化や思想・宗教の違いを乗り越えて、理解し合わなければ、平和と共存は出来ない。


ご近所で噂になるような、激しい夫婦喧嘩を繰り広げていた両親の、穏やかな黄昏の時間を感じながら、そんなことを思った、今日は終戦記念日。