宝石を着替えると、出逢う人も変わります。
たった一つの宝石が、人生をかえるかも しれません
【貴女の価値を引き上げて見せる宝石を選びます】
広島の宝石コーディネーター 林 佳代です。
10月度の『UTIRA(うちら)の会』
※『UTIRAの会』は、職場の集まりで
『生協学校』で生協理念を学んだ1~3期生60名中の女性9名が中心となって
部署を超えて繋がり、相互理解と協力しあう暖かい関係の輪を広げる、
自主的な活動をすすめます
①「元気な職場」「よりよい生協」をつくる
②部署を超えて繋がる
③発信力、表現力を高め、情報を発信する
④女性の視点を仕事や組織運営に生かす
今回は、 東北震災被災者支援の一環で【広島お好み焼き隊】に参加した人事の尾土井さんの報告会でした。
9-10月にかけて、生協ひろしまの職員 公募の組合員さん 虹のコーラスのメンバーで、仮設住宅6か所を回って、広島風お好み焼きを食べてもらう というユニークな内容です。生協のトラックに≪ミニ鉄板≫を積んで、出発したのでした、、、、
震災から2年半、、、
仮設住宅も小さな集落はだんだん取り壊されて、大集合住宅(球場跡地などを利用して)にうつされています。住民の皆さんの中には、仮設4か所を転々としてきた方もおられたとか。
仮設住宅にも、コミュニティーが出来上がっているのかと思いきや?
その中で、繋がりを持っていない方もたくさんいらっしゃるようです。
仮設住宅で【広島お好み焼き隊】のチラシをまき、お好み焼きを焼き、焼いている間に、虹のコーラスの人が歌声を披露したり、待っている皆さんと歌ったりして、、、、、
その匂い、、、その歌声、、、
「広島風お好み焼きってなになん?」
という好奇心にひかれて
外にでてこられた方々。
そこで、はじめて、
「隣に住んでいるのは、この人だったんだ!?」と気づく場面も。
震災の経験が辛すぎて、辛い話を共有するのが嫌で
周りの方と交わらない方もいらっしゃるのだと聞きました。
震災から2年半。ある仮設住宅では、月に一回、地元の生協の人がボランティアで訪ねているそうです。
「震災当初は、色々な人が来てくれたけれども、2年半たっても忘れずに来てくれるのは、生協さんだけです」
ある住民の方がポツリと言った一言が、印象的だったそうです。
尾土井さんは、震災直後の地元生協の店舗応援にも行ってます。2年半ぶりに被災地を訪れ、当時ヘドロだらけだった町が綺麗に片付けられてたと言います。
だけど?
「被災された方は、今なお深い悲しみや困難を抱えていらっしゃる。このことは、メディアではわからない。実際にこの目で見ると、聞くとでは大違いだった」
と言っています。
被災から2年半、、、
今、なお、1300名の方が行方不明です。
生協は、捧げあう組織
「一人は万人の為に 万人は一人の為に」
尾土井さんのお話を聴いて、この事を再確認しましたし、誇らしいと思いました
私は、今回聞いたお話を、一人でも多くの人に伝えたいと思いましたし、その中で、自分の出来る事を見つける事に致します。【お好み焼き隊】行きたいなあーーー。
【広島お好み焼き隊】の第2陣には、
なななんと
プロのお好み焼き屋さん が 組合員公募で 参加されました。
じゃかじゃん
熊野ユアーズ店内の隠れた名店【じゅうじゅう】
店長の西村さんです
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店内には、被災地でとった写真がいっぱい飾ってあります。これを見て「行ってきたんじゃねー」と声を掛けてくれるお客様も。そこから会話になって、被災地の状況をお伝えしているのだとか
「今回、ボランティアの参加して、本当に自分の勉強になりました!」とおっしゃってました
被災者支援の募金箱も置いてありました。
友達と二人、募金させていただきましたよーーー
で、このお好み焼きが絶品!
油が少なく、材料も国産にこだわり、最後までふんわりの めちゃウマのお好み焼きでした。
私、お好み焼き食べると「げっぷーーー」ってなって、胸やけする人で、いつも一週間はお好みはいいなと思うのですが、ここのお好み焼きは、もう一枚食べたい!!!明日も食べたい!!!
お昼時などは、行列のできる超繁盛店なので、到着時刻をあらかじめ伝えて、焼いておいてもらう事をオススメします。
↓ ↓ ↓
熊野町 ユアーズ1F じゅうじゅう
最後に 一足早く【じゅうじゅう】にいく!と私が告げた時の 尾土井さんの一言
「こっすーーーーい!!」
えええ?
そこ、フツー 「いいね!」でしょう(笑)
よほど、行きたかったんだなあーーーー
早くいきなはれ