月曜日から頑張ることにした。


なにより、takeru、erichan二人の同棲生活に充実感を感じ、


自分のやりたいことをやっている人たちの美しさを感じた。


相手の親とけんかしながらも、一生懸命生きているtakeruがあまりにも立派。


やらなければならないことを抱えながら、ウイポやったりニコニコ動画観てたりする自分。


あかんやん。


やることはわかってんだから、とりあえず前に進めよ、めんどくさがってんじゃねぇよ。


まっさかよりによってあんなやつに気付かされるとは思わなかったけど、俺頑張れる。


明日やること→学校、メアド取得、バイト電話


すっくな。少ないやん自分。こなそ?こなしてこうよ自分。

ゲルンはちょっと見ないうちに非常に大人になったと思う。


「最終的には国を作りたい」


「リニアモーターカーの会社を作る」



この記事を読む人はゲルンのことを知らないので、


(イタイやつ)だとか(まだ若いから)とか思う人ばかりだろうが、僕はそうは思わない。


最終目標に向けての綿密な計画、行動力、話術


何をとってもゲルンが冗談でそんなことを冗談で言っていないことは明白だ。


大きな証拠として、


ゲルンは自身のブログにソフトバンク社長孫氏や、mixiの社長だったりといった著名人とのツーショット写真を掲載している。


んなもん、金出せばだれでも撮れるものだし、逆にゲルンを知らない人が見たら胡散臭さ満天だろう。


でもその行動力、実行力、見習わなければならない。負けてなんかいられない。

現在、宇宙にどのくらいの地球外生命体が分布しているのか推定する、Drakeの方程式という物がある。

そこから宇宙について思いをはせてみた。


N=R*×fp×ne×fl×fi×fc×L

このとき


N :我々の銀河系に存在する地球外文明の数
R* :我々の銀河系で恒星が形成される速さ
fp :惑星系を有する恒星の割合
ne :1つの恒星系で生命の存在が可能となる範囲にある惑星の平均数
fl :上記の惑星で生命が実際に発生する割合
fi :発生した生命が知的生命体にまで進化する割合
fc :その知的生命体が星間通信を行う割合
L :星間通信を行うような文明の推定存続期間


とおく、これがドレイクの方程式。


実際にドレイクが1961年に使用した値ではなく、今現在の常識から考えられる値を代入してみると


R* = 10個/年
fp = 0.5
ne = 1.5
fl = 1
fi = fc = 0.1
L = 50年


計算してみると、N=7.5

これはあくまで推定の域を出ないが、この銀河に7.5個地球外文明が存在することになる。


その銀河系が他にも無尽蔵に宇宙に広がっているのだから、地球外文明と触れ合える日はそう遠くないのかもしれない。



地球は太陽の周りをくるっくる回り、太陽は銀河の中心を回り、銀河は宇宙の何かを「おとめ座銀河団」方面に回っている。


太陽は銀河の中心から3万光年くらいに位置し、公転速度は秒速220kmくらい
地球の公転速度は秒速30km、

銀河系自体も秒速600km~1000kmくらいで回る。


それはつまり人間が仮に静止することが出来るならば、目の前を地球が秒速528万kmで地球が移動する。


激しいね~激しい。


言ってしまえば、宇宙も何かを中心として回っているかもしれない。

宇宙の外は「無」といわれるが、「無」の中に存在する宇宙ってなんだろう。

「無」には何もないのだから、宇宙だって存在しない。


ということは宇宙の途切れた先になにか新しい物が待っているのだろう。


いや、途切れることなどないのかもしれない。人間が作り上げた幻想かもしれない。


人間が滅びた後も同じように時が流れるのだろうか。宇宙は不思議すぎる。

彼女がとんでもなくブサイクであることなんてどうでもよくなってくる。



同窓会に行ってきた。


もう帰ってきた。


え、もう帰ってきたの?はい、もう帰ってきた。フラストレーションに耐え切れず。


多くの友達と話せた、好きだった人ともいっぱい話せた。


「ねえどっちのほうが好きだったの」と告白したことのある二人に挟まれ、


確執が出来ていたイナガキとも打ち解けた。


でも、フラストレーションがひどい。


共に生活していたころと違い、俺の知らないところで生活している。


ワイワイ喋ってても明日にはまた全然知らないところで生活しているんだろうと思うとしんどかった。


向こうのこともわからないし、俺のこともわかってくれない。


しんどい。もう会うのはそようか。

事故なんかに自分が巻き込まれたとき、とっさに「死にたくねえ」とかって思う。


「死にたくねえ」と思う割りに、じゃあ生きていて何をしたいのか分からない。


そう、「何のために生きているのか、考えてしまう病」だ。


中学生の頃自我を確立し始め、同じようなことを憂いたものだった。


今夏休み暇大学生として、ぽっけらかーんと考えてみても、当時と何も変わらず。


わかんない。


「生きていたら幸せなこと、楽しいことがあるはず。」


ちょっと待ってくれ、それは具体的に何を指すんだ。


好きな人と家庭を持つ、それは幸せなことでしょう、でも、それのために悩み苦しんで生きていくのかい?


結婚して子供が巣立ったら人は「穏やかに」だの「自分の趣味に費やす」だの言う。


それを叶えるために行き帰り満員電車に揺られ、毎日汗かいて働くのか?


ごめんだねそんなこと。


大きな幸せがゴールの先にないのであれば、そんな人生アホらし。


それならいっそ、ちょっくら冒険に出てもいいじゃないか。


成功すればあとは午後出勤、そして40代を前にして早期引退。


人生の半分働かず本能のままに生活できる。いいじゃないか。いいじゃないか。