どうも横山です。

最近は埼玉、横浜、静岡、名古屋フリーダムと続いてて、ようやく家に帰ってきて部屋の掃除とかしてたわけなんですが。


色々整頓してて引っ張り出してたらですね。




これを見付けたんです。


時計です。


なんの変哲もないG-shockです。


ただ、これは俺が小学校6年生の時私立の中学に行くために、ゲロ吐きながら参考書と格闘して無事合格したときに、横山祖母が買ってくれたっていう代物です。


当時の金額にして7万くらいだった気がします。


それが出てきてですね。


懐かしいなーとか思いながら着けてみたりしたんですけど。


最終祖母の形見になるなとか不謹慎なこと思いながら。




当時の俺にとっては、7万の物を身に付けるなんてそれはそれは分不相応な大それたことだったわけです。

正直困惑してました。

左手だけが浮いたようなそんな気分でした。



あれから十数年経って額面だけで言えば7万っていうのは、俺が普段ライブで使ってる機材の方が桁違いに高額なわけです。

それを仕入れる年齢になったわけです。

ともすれば、7万の物は苦もなく買えてしまうかもしれません。



あの時浮いて感じた手首も、今は昔よりかは幾らか収まり良く感じられるわけです。






モノに意味を与えるのは人の心です。

どんなに価値あるものも見る者の目によってはガラクタに映るし、逆に周りにはガラクタに見えるものも自分にとっては宝物のように映るかもしれません。



MTGってカードゲームがあるわけですが、1枚数十万円以上するカードがあるわけです。それに関心のない人にとっては例え目の前にそれが転がっていてもただの紙切れにしか映らないことでしょう。


感覚ピエロが当時500円で売っていたペラペラのフィルムに入った自主制作のミニアルバム。道端に落ちていてもそれを知らない人にとってはただのガラクタです。だけれど一方でそれを20倍の10000円でオークションに出す人もいるわけです。

モノは、見る者の目によって意味をコロコロと変えていくのです。

そして、モノに価値を与えているのは紛れもなく人の心です。




周りには今や中古で3万円で買える時計だとしても、俺にとっては世界に1つしかない宝物なわけです。

今はバンドが千切れちゃって使えないんだけど、ちゃんと修理して使いたいなあと思います。




あの。



だからですね。




それで言うならば、俺たちの音楽に価値を与えてくれているのは、同様にして俺らの音楽を聴いてくれる皆さんに他ならないのです。

皆さんの心が俺らの音楽に価値を与えてくれているんですね。



ガラクタか宝物か。


意味を与えてくれている皆に沸々と感謝の気持ちが沸いてきました。


って、祖母からもらった時計をまじまじと眺めてそんなことを思いました。

またライブハウスで会えるのを楽しみにしてます。

皆ありがとうね。


横山