自分のためにできること
自分のための『時間』を作ること
東京に来て圧倒的に変わったことは
『このこと』である
田舎にいたときは
『自分のため』
などということは
皆無であった
『人のために』やることが当たり前
『自由』『楽』なことをしている
と思われたくない
何故ならば
『言われる』からである
私が東京へ来て
楽しくやっていることを
以前いた地元の人間に話したら
『そんな楽な感じでいいな』
これである
ただのひがみであることは
いまはわかるがあの頃は
まだその人間との繋がりがあった
ので本当に
『なんでこんなことをいうだろう』
と悲しくなった
自分の元から離れた人間には
報復を
という感じの人間だった
狭い田舎町
全て繋がり、仕事を変えるのも
何をするのも
『他人の目』『他人の監視』
がついてまわるのである
だから
『変わる』ということが
どれだけの『罪』なのか
という歪んだ概念を
ずっーと刷り込まれていた
『変わる』ことが『罪』
おかしな話だ
田舎に住んでる人はよくわかるだろう
要するに
『ね、ね!』の法則の真骨頂のような
世界である
(私が名付けた『共鳴』という名の
脅し行為みんなでスクラムを組んで
そこから抜けようとした
人間の『目醒め』を遮る
『だよね、そうだよね』の
『ね、ね!』である)
その場所、人が嫌なら離れればいい
しかしながら
それが『できない』
何故ならば
『言われたくない』
すなわち
『悪者になりたくない』
からである
『悪者』
罪もないのに『悪者』扱いされる恐怖
もう『マインドコントロール』ですよ
ハッキリ言って
私はそうした気持ちがよくわかる
何故ならば
私がそうだったからだ
『断ることができない』
『相手に変に思われたらヤダ』
などなど
ぜーんぶ『他人軸』が
『主』となっていた
子どものこともそうだ
大切な時間を
そうしたことで私はムスコとの関わりを
削いでいた
それと逆に
『ムスコありきの自分』
になりすぎていた
だからいま、ムスコは
飛んでいってしまった
矛盾しているようだが
全ては『ムスコのため』
『生活のため』
『〇〇のため』に『自分』なんて
1ミリもない
だから空中分解するような
出来事が起こった
しかしながら
その『空中分解』するような
ことがないと
『自分軸』ということに
気づくことができない
『自分』がいたのだ
もう強制的『自分軸』である
しかしながら
そう感じるまでは時間もかかった
悩み、苦しんだ
『人』を『他人』をから抜け出せない
『自分』に対しての『愛』がないのを
それを『思い出す』までは
なかなかの時間と動力が必要になった
『愛』は他人から『もらうもの』だと
思っていたからね
『愛』が自分自身で
『自分に向かって作り上げる』なんて
1ミリも思っていない
『愛』は他人に『与えるもの』である
そうした『刷り込み』を
みんなされていないだろうか?
『幸せは自分で作る』
だからこそ、『幸せ』が起こる
その法則もみんな『逆』
ではなかっただろうか?
『幸せ』は一瞬でまた落とされる
そんな『恐怖』を植え付けれたのは
要するに『備えとけ』ってこと
『傷つく前にそれを思っていれば
ちょっとは緩和される』という
猶予なのかもしれない
しかしながら
『全力で幸せ』を感じていれば
本当はどんな結果になっても
『後悔』しないのだ
それを知らん先人たちは
『そう言うしかなかった』のであろう
幸せな時間
自分にとってのそうした『時間』を
丁寧に紡ぎ出すこと
私は『小さな事』だと思っている
そして、その小さな事の積み重ねが
大きな気づきになる
いままで知らなかったことを
経験し、そこに『価値』を見出す
憧れている場所での食事でも
そこを知っているから
わかるのである
『自分の居場所はここだ』
そう思えるところは
『どこ』だろうか?
『自分』のために
『誰かに』『こうしたものが』ではない
『自分』の『幸せ』を
真剣に『自分』で感じればいい