こんにちは
『自分自神』につながるblog
にようこそ
『自分研究家』の高橋ゆかりです
今回は以前、ちらっと
投稿したものにあげていた
『リトル・ミー』について
お話したいと思います
自分の『置いてけぼり』の過去
いま、現在、
『なんだか、人間関係がうまくいかない』
そう感じている人
あなたの幼少期の親からの影響が
多大にある
ということを知っていますか?
私はこの本に出会い、
自分の中の小さな
『リトル・ミー』
がずっと、何十年も
『苦しいよ』
と訴えてきていたのを
『無視』し続けてしまっていた
が故に
私の人生の中で
様々なことが起こり
『苦しみ』の世界に埋没している
ことを知る
ひとつのきっかけとなりました
『インナーチャイルド』
などと精神医学用語では
いいますが、
ハッキリ言ってこのインナーチャイルド
『リトル・ミー』ちゃん
『リトル・ゆかり』
がズタボロになっていた
のであります
私の幼少期は
半端なかったと思う
今だから捕まらないだろうが
うちの両親は今の時代なら
捕まってるだろうね
というか
私たち姉妹は
きっと『児童養護施設』に
保護されていたと思う
しかしながら
毎度言っていますが
『環境』とは恐ろしいもので
あと、前回の投稿にもあるように
『不可思議な絶対条件』
という『宿命的環境下』
のもとにあると
あの『異常さ』が普通になる
という恐ろしさ
あの幼少期の様々な経験が
私の他人に対する
『攻撃は最大の防御』
と言わんばかりの態度や行動、言動を
引き起こしていた
だって家に帰ると
『親との戦い』が待っていた
(暴力はないが、精神的戦い)
からである
私はもう50歳になるが
この年齢になっても
子供の時経験した事柄が
『フラッシュバック』
するような感覚
ぐるぐる巡って
その『記憶』から抜け出せない
そんなことを何十年も続けてきた
しかしながら
私はこの
『リトル・ミー』の自分
の存在
を知ってから
ずっと封印していたこと
それを解放しないと
先には進めない
ということ、
私は『もっと変わっていきたい』
という思いもあり、
自分の母親に
この思いを泣きながら
ぶつけた
(去年の11月ごろかな)
このぶつけることになった
『出来事』は
詳細は言えないが
妹が私に
『お母さんがお姉ちゃんにしたこと、
私はあれをみて頭の中がおかしくなった』
と言った『出来事』だった
妹は『統合失調症』を
20年に渡り患った
その『引き金』になったことには
違いないと思う
父はもう亡くなって
母はまだ生きている
『辛い思いをさせて
ごめんなさい』
母がはじめて私に謝った瞬間だった
いまなら、あのとき
母も父も大変な思いをしていた
と理解できる
が故にその矛先が
私たち姉妹に向いてしまった
のだと思う
その矛先は
普通の『攻撃』ではなく
逆の『ネグレクト』
私は親から『どうでもいい存在』という
カテゴリーに当てはめられた
と思い込んでいた
だって、私は『戦っていた』
自分の親が
私たちの願いを
『受けれないわけがない』
しかしながらそれは虚しく
『惨敗』
していた
私も親になり、様々な経験をし、
親には助けてもらったことが
たくさんあった
にも関わらず、
この『リトル・ミー』が
どうにもこうにも
『許さない』
と叫んでいることに
気づいたのでありました
それはなぜか
私も親になり、
ムスコに対して
『絶対にあんな親にならない』
と思っていたのにも関わらず
傷つけてしまった事実を
あとから知ることになるのです
繰り返してしまった
あんなに
『苦しんだリトル・ミー』
それになぜ気づかなかったのか
いや、まだ『気づくべきとき』では
なかっただけ
要するに
『行き着くとこまで行かないと
人は理解できない』
本当はそんなことにならなくても
『理解』できる人もいるのかもしれないが
なぜか私はいつも『こう』である
でも、この行き着くべき場所に
行き、ズタボロになった
自分に対峙した時こそ
私は自分を救うことが出来ている
だって人が感じること以上に
この経験から得たことは
いままでの自分を慈しむこと
そして
このことに関わって来た人の
見方を180度反転させることができる
という画期的な『技』ぐらいの
『思考』にすり替わったことだ
毎度言っているように
この世は『二極化』の世界
善と悪
男と女
上と下
相対する『世界』で構成されている
その『世界』の中で
同じ『物事』なのに
『二極』の見方ができることの
『強み』がいま自分にあると
思っている
だから、
親も『赦すこと』ができ
そして、
『救えなかったリトル・ミー』
を救い出すことができた
『リトル・ミー』には
いま、可愛いものを買ってあげている
へんな『オンナ』に思うかもしれないが
『リトル・ミー』は
ずっと『可愛いもの』が欲しかった
でも、なぜか『買って』と
言えない子だった
だから、
友達が可愛いお人形を持っていたり
するのが本当は羨ましかった
欲しいものを『欲しいと言えなかった』
子ども時代
だから、自分のムスコには
おもちゃをワンサカ買ってあげていた
(ディスカウントのお店が近くにあったから
安く買っていた)
男の子だけど、可愛いものが好きで
ぬいぐるみとか小さい置物みたいなやつ
とかいっぱいあったし、
ミニカーは100台以上あった
でも、これは本当は
『自分に買ってあげたかったもの』
だったんだ
といまになって気づいた
こうして
『リトル・ミー』
と仲良くすることで
癒されている私であります
人は何年、何十年経っても
『消えない傷』
がある人がいる
他人にはわからない
その『深き傷』は
他人には『癒してはもらえない』
のである
何故ならば
『他人』に癒されることに
フォーカスしているうちは
『自分の心が枯渇している状態』
だからである
『他人』からの何か『アクション』や
『アプローチ』は
ただの『きっかけ』であり、
その『きっかけ』を
自分に落とし込んで
『自分が目醒めた』とき
本当の『癒し』が訪れます
だから、笑えることをしたり、
変なことをする
でも、あなたの『リトル・ミー』が
癒されるのであれば
All OK
だってあなたを『癒す』ことが
できるのは
あなたしかしないからね