こんにちは
『自分自神』につながるblog
にようこそ
『自分研究家』の高橋ゆかりです
前回のアメブロで
『現実はただの映像』理論に
ついての触り程度のお話をしました
『知ると
段々と楽ちんになってきますよ
過去の自分もこれからの自分にも
期待できるのです』
と言うなんとも素晴らしい理論
に私も只今、実践中であります🩷
『過去』に期待できる
『過去』すら変えられる
細かく言えば
過去の事柄は同じであっても
『過去への思い』は変えられる
のであります
あの『過去』で
20年以上『苦しんできた私』
その『思い』がなくなる奇跡
ではでは
『現実はただの映像』理論について
さらに深掘りしていきたいと思います
でいつもの如くの
『その前に』
あなたは自分が『灰になるほどの思い』
をしたことがあるだろうか?
私はやることやすことすべてが
『よかれ』と思っていたことが
『逆』に受け取られ、
『敵』にされ、
私は『加害者』のように
祭り上げられいたことを
知った時の『絶望感』
そして体は知らずのうちに蝕まれ
『身体表現性障害』
と言う
『心』と『体』がバラバラになってしまう
『精神疾患』を患ってしまった
でも、この病気は
『心』と『体』がバラバラなので
自分がそうなっていることに全く
『気づかない』
のであります
私の初期症状は『めまい』でした
そんなに激しいものではなかったの
ですが、耳鼻科に行き、
『目の動きがおかしい』
と診断され、
『脳神経外科』でMRI
を受け、『異常なし』
『精神的なことかもしれない』
と言うことで
『精神科』に行ってみたら
この病気が発覚した
いまはそうした精神的な病気も
意外とオープンになっている傾向がある
と私は感じているが
あの当時は
『言えない』
子どももいて、ましてや
保育園に働きはじめていた
『精神科に通っている人が
保育園に働いていいのか』
『そんな人に子どもを見て欲しくない』
と言われてしまうのではないか
私はそう自分で感じ、
もしバレたら
『この仕事もなくなる』
と思い、
通院するのを辞めてしまった
急に具合悪くなったり、仕事が終わると
寝込んでしまったりしていたが、
そんな状況も
親に助けてもらいながら
子育てをして仕事もやっていました
その後、
ストレスが引き金となり、
先天的に心臓の中の神経が1本多かった
ようでそれが悪さをして
心臓疾患を患い、
カテーテルアブレーションをしましたが、
また別の心臓疾患が出てきてしまい、
薬なしでは私の体は維持できないので
一生付き合う病気になっています
話はあちこち飛びますが、
あり得ない『状況下』に置かれたとき
人を恨み、自分を恨み、
本当に『〇〇す』ことなく
あの日々を過ごせてよかったと
いまは思っている
だって、あの狭い町で
わけわからん人間模様が繰り広げられる
あれは一体なんだっただろう
その『謎』の渦に巻き込まれること
そして、
狭い世界で生きている自分の苛立ち
『自己肯定感』の低い人間たちの
巣窟みたいな場所故に
『戦い』がおきるマウント合戦
いいかげん、私の
『潜在意識』は深く沈み、
未来も何も
『暗い現実』の沼に
ハマっていたのであります
20年近く
『恨み』の気持ちを
ずっと持っててみてください
そう簡単には
その『思考』が自分を支配し、
すぐに『脳内』を駆け巡る
『ネガティブ』
それを打ち壊すことなんて
できない
しかし、
その『ネガティブな思考』を
ぶち壊してくれた
『現実はただ映像』理論
お待たせしました
さぁ、やっと深掘りいたします
何故、こんなに自分の過去を話してから
この理論を伝えたいかというと
そうした思いをしている私だからこそ、
『変わるきっかけになったから』
ということをご理解いただきたいから
いまも、苦しみを抱いている人がいる
と思います
人はそう簡単に
『恨み』『憎しみ』を
手放せないこと
私は簡単にバカにしたように
人の心を踏み躙るようにいうヤツらに
いろいろ会い、
『お前もその思いしてみろ、
絶対にそんな風に簡単に言えねーから』
と
悔しさと怒りで気がおかしくなりそうな
時もあったから故に伝えたいのです
でもそれも
『ただの映像』だったということ
ということで、
いいかげん、本題へ入ります
『現実』は
『スクリーン』と捉えましょう
自分は『観客』
観客席に座って『スクリーン』を見る
あなたの人生模様が繰り広げられる
『オトコに浮気されてドロ沼バトルドラマ』
『結婚したはいいけど、姑との確執バトルドラマ』
※なんかバトルばっかり
いやいや、
『素敵な結婚式をあげてhappy end
なドラマ』
かもしれない
そうした、いろいろな『人生模様』の中
どーしても『ネガティブなこと』は
大きくクローズアップされ、
『〇〇にこうされた』
『〇〇だからこうなった』
と自分の『外側』に『何かをされた』
と思うのが当たり前の考えであります
しかしこの
ドラマや映画は
『自分が経験したくて
持参したらフィルム』である
という衝撃の事実
であります
そしてそれを映し出し
見て楽しんでいるのです、本当は
『いや、そんなことあるはずない』
と思うのも無理はありません
私もそう思いましたもの
しかしながら
私たちはこうした『事柄』が起きると
自分で観客席を立ち
スクリーンに走って突っ込んで、
泣いてわめいている、
しかも、スクリーンを叩いている
映像はただ映ってるだけ
すなわち、
『自分で作り出している』だけ
なのであります
これが『現実を嘆いている状態』
なのです
ということは
自分のところから映している映写機の
『フィルム交換』をして
次の楽しいドラマ、映画を映し出せばいい
という発想もできるわけです
自分のところの
『映写機』の『フィルム』を変える
またまたなんのこっちゃ
であるかと思いますが、
この『フィルム』は『周波数』
であり、これを『変えてしまう』と
全てが変わってしまう
のです
では次回はこの
『映写機』&『フィルム』
について分かりやすーくお話したいと
思います