こんにちは
『自分自神』につながるblog
にようこそ
『自分研究家』の高橋ゆかりです
あなたは、この世の中、
『常識が非常識』
いままで思っていた思考が本当は『逆』
という視点でみたことがあるだろうか?
私と同じように
感じている方もいると思いますが
いままでの
『自分の在り方、生き方』
がまるで
『操作』されているが如く
世の中の『刷り込み』だった
と気づいてしまったのであります
私が何回もblogでも書いているWord
『それあなたの考え方、思考ですか?』
『よーく考えよー』
普通、当たり前に話していることや
感じていることをそうした『視点』で
みることはあまり無いというか
そんな考えすら無い
以前の私はそうでした
それが『普通』だから
人に対して感じることをいろいろ言って
『そうだよね、ね、ね』
ってみんなで『同じ意見』に同調して
スクラム組むわけです
でも、それが『普通』だと
思っているから
『常識』だと思っているから
『常識的』という観点でみたとき
『人様に危害を加えるようなこと』
は当たり前にダメであることは
わかっていますが、
そうしたこと以外で
『謎の同調社会』の渦に巻き込まれて
自分の『それ違うんじゃない』
という視点を曖昧にしている
これも『普通』である
私の例で例えるならば
私の田舎ではあまりにも
働く場所が少ない
周りは知ってる人ばかり
その中で『カースト制度』
みたいなことが起きている
私のようなあのときは
何の取り柄もない
『シングルマザー』
は働く場所にありつけても
その中で嫌な思い
『非常識』なことが
巻き起こっても何も言えない
その地域、そこに生きてきた環境の中で
『人に合わせていかなければいけない』
『我慢してお金を稼がないと
生きていけない』
『人に言われなくない』
人のことをすぐにあーだこーだ
いうところにいると
自分も言っているのに
『人には絶対に言われたく無い』
という摩訶不思議な『刷り込み』
『洗脳』というべきか
そうしたことが起きる
そこから逸脱しようものなら
『袋叩き』のように
言われたり、態度でされる
『去るもの』には厳しい
『制裁が待っている』
『狭い地域だから
いつなんどきそうした
関わりを持った人間に
合うかもしれない』
とこれもそうした人がやられている
のを見て勝手に『刷り込み』された
感情である
しかし、一旦そこから抜けた私は
あの場所の異様さに気づき、
そして『自由』になれた
上に立つ人間は
そうした人の心理を熟知し、
『言えない状況』にしている
こともよくわかった
人の優しさにつけ込む
私は自分は『優しい』と思っているが
(思うようにしています
マインドチェンジ)
そうした心理を巧みに
使われていたのである
なので、人間断捨離をし、
いまは綺麗さっぱり関わりなし
あーすっきりした
で話は戻ります
このように『よーく考えがよー』
をするといろいろ
見えてくることがあり、
自分がいかに
『他人』に振り回されていたか
『自分の意見』と思っていたことすら
『本当はどうんだろう?』
と疑問を呈することがあることを
ご理解頂けたらだろうか?
『同調』することは
社会に適応するにあたり、
とても大切なこと
しかし、『違和感』がある場合
それを理解し、
そうした気持ちをもつ『自分』を認め
客観視することが
さらに大切であります
またまた『神目線』
引いてそこからみて
まぁよーするに
『テキトーに合わせる』
でも、良いかと
私は思っています
だって、そこはあくまでも
ライトに
誰もあなたの心は
覗けないから大丈夫
私はよーくそれしてる
こうした『自分分析』
をすることでわかるこちらのお話
自分の感じている『常識』
という枠の中の
『一喜一憂する在り方』
『もうやだー』
からの『現実はただの映像』
のお話はまた次回へ