何気なく目にした記事のタイトル。


「友人知人と今まで通り接していけないことに直面した」


という一文に心惹かれて、読み進めることにした。





「定期的に腫瘍の様子を検査するのですが、検査が〈審判の日〉になっていました。結果を聞くまでは生きていられると思うし、よくない結果が出たら下り坂の人生になる。だから元気なときはなるべく楽しく、やりたいことをしようと思ったんです」


がんは人も年齢も選ばないが、26歳で「審判の日」を経験するとは。私のように腫瘍は取り切りったパターンでも、その日はしんどいのに。





「『思ったより元気そうだね』と声をかける知人・友人もいたそうです。実際には苦しくて寝込むしかない日々もあるけれど、いちいち全員には説明していられなくて『元気にやっている』と答えていた莉子さん。だんだんつき合う人を絞るようになりました。」


これも「あるある」だ。私は直接言われた訳ではないけど、抗がん剤治療中の人に「お元気そうですね」と声をかけた知人が、「波はあるんですよ」と返答があったと聞いた。そう答えた人の心中を察する。「ありがとうございます」でも、「そうですね」でも、「お陰様で」でも、答え方は色々あったと思う。

しんどい体を引きずりながら動いているところに、「お元気そうですね」と言われてもなかなか素直に喜べずにモヤモヤする。私はそれが嫌で、「中途半端な知り合い」には病気であることを知られたくなかったし、距離を置いた。




「友人に『私だったら抗がん剤はやらないな』と言われたことです。治療を始めたばかりの私に、なんでわざわざ宣言するんだろうと、すごく傷つきました。以前からそういう考え方の持ち主だとは知っていたけれど、よくも面と向かって言えたなと思って。そのときから、だれとでも仲よくするのはどうだろうと思い始めたんです」


これは辛い。

私も「そういう考え方の持ち主」だったし、ほぼ毎日LINEのやり取りをしている友人もそうだった。でも、別の友人のパートナーが抗がん剤治療を受けることになった時にはとてもそんなことは言えなかったし、いざ自分ががんになってみると抗がん剤治療をしない選択はなかった。友人に治療を受けると伝える時は、正直、お付き合いが変わるかな?と思った。でも、友人は、



「私が実際にがんになったら、どうするか想像もできないよ」



と言ってくれて、今も変わらず付き合ってくれている。唯一、私が「抗がん剤の副作用が…」と書くと、「抗がん剤の『作用』」と返信してくる所に、彼女らしさを感じる(笑)




「『前向きでいてほしい』という圧力感じることもあった」


私は圧というより、「前向きでいなければ」と両親の前では思ったし、無自覚的にそう見せようとしている自分を今も感じている。




「未来をなんの心配もなく想像できるかどうかというところに、深い溝があるんだろうなあと思います」


これは日常茶飯事。何気ない会話で、いつも感じてしまう。




「『大丈夫、今は治る病気だから』、『うちの親も何回もなったけど治ったし、今はピンピンしているよ』と返ってきたり。さらに莉子の話を報告した後に、相手から楽しそうにしている家族写真を見て欲しいと言われて…。」



これはがんに限らず、「子どものいない私」にも当てはまる。

ピンピンしている人の姿は支えにもなっているが、それはこちら側が感じることで人に言われて元気が出るかは別だろう。




「私だって、うちの子たちはがんにはならないと無意識に思い込んでいました。でも、ご家族を励ましたり、話を聞くときはすごく気をつけなければいけないと実感しました」


当事者になっても、もし親しい人からこれからがんだと告白されたと想像すると、私は戸惑うしかない。何も言えないかもしれないし、何かを言おうとすることをやめるだろう。




「健康な人が私を励ますつもりで『2人に1人はがんになるし、今はがんで死なないよ』と言った」


はい、これは私も実際に何度も言われた(笑)「そうですね」とは答えるけど、「じゃあ、実際周囲の人で2人に1人ががんですか?」と言いたかった(笑)





「一緒に悲しんでほしいのか、無理にでもポジティブにしてほしいのか。私は〈されてきた側〉だからこそ、すごく悩みます」


このように締めくくられていたが、同感。




ある人の家族の健康に大きな被害が出たとき、その人は


「仕方ないよー、人生色々あるでしょう。生きてるだけで丸儲けよぉ。」


と明るく言った。胸が痛かった。もちろん、その陰にどれだけの涙が隠れているのか、容易に想像できるから。

私を心配させまいとして、私もがんで大変な思いをしているからと弱音を吐かず、そして自分を奮い立たせようと言っているのだろう。

今の私が思うのは、時には泣いても、元気をなくした姿を見せてくれてもいいのかもしれないということ。

そういう姿だと、私も逆に弱音を吐きづらいな〜と感じたのだ。



はー、ほんとに難しい。

「単語」がその人によって命を吹き込まれ、「言葉」になるのか?

その人と言葉は一体か…ブログを書く怖さを感じる。





手帳アクセサリーとして付けようと、一目惚れしてメルカリで購入。届いてみたら…デカっ(笑)サイズ確認してなかった。

手帳には無理〜。とりあえずバッグにつけてみたが、家のどこかに飾ろうかな💦