昨年の今頃を振り返っていて、つくづく叔母に感謝の思いが溢れた。
「陽性」と言われた夜、ビールを飲んで1人で泣いていた。人に何か悩みを話す時は、ある程度1人で受け止めた後なのだが、さすがに「がん」は受け止め切れなかった。
乳がんサバイバーの叔母にLINEをしたところ、21:30に電話をくれた。そこから2時間くらい泣きながら話したが、あの夜の長電話がなければ、その後のがんとの向き合い方は全く違っていたものになっていただろう。
その思いを叔母にLINEしたら、折り返し電話をくれた。
「大丈夫?落ち込んでない?」
と。
どんなに初期のがんでも、がんを境に人生は一転すると思っている。そこは、サバイバー同士なら、変な慰めなしにツーカーで話せる。こればかりは、どんなに家族が心配しようが、寄り添おうとしても無理なのだ。
叔母がいなかったら、私はどうなっていただろうとすら思ってしまう。
長電話では現状報告、ストレスなこと、愚痴、などなど大笑いしながら1時間超えで話した。
がん相談支援センターでも当事者同士で話すことも出来るが、やはり気心の知れた人=がんサバイバーと話せるのが1番かもしれない。
「夫のいない」長電話、最高😆
最近、またロザリオの祈りを復活(キリスト教信者ではないが)。
長男猫が旅立った時に覚えて、瞑想代わりに自分の慰めとした。
鎖⛓️を一つ一つペンチで作った、手作りのロザリオらしい✨