https://x.com/tarareba722/status/1770435726800486763?s=53&t=NORFaRgm4Ijh6qYteDF8Ww


いやはや、ナイチンゲール様のお言葉にはひれ伏しました😂

上記のXより、引用させていただくと…



『看護覚え書き』フロレンス・ナイチンゲール著、湯槇ますほか訳、現代社刊「十二.おせっかいな励ましと忠告」より


こうした励ましの習慣は病人に害を与える行為としては最悪のものであり、私はそれに強く反対すると。親族や友人、見舞客や付添人など、病人をとりまくすべての人びとに向かって私は心から訴えたい。病人が直面している危険を、わざと軽く言い立てたり、回復の可能性を大げさに表現したりして、病人に「元気をつけよう」とする、そのような行為は厳に慎んでいただきたいと。」


「病人に浴びせかける忠告ほど、虚ろで空しいものはない」


「素人であれ医師であれ、のこのこと病室にまで出向いてきて、その実行の可能性はおろか、患者にとっての安全性についてさえ知らないことを、患者に勧めて患者を悩ます友人や知人たち。そのずうずうしさは驚嘆に値する




こちらは👇「たられば」さんの言葉。

そうした「励まし」や「素人によるアドバイス」は特に看護師も注意すべきであり、病人にそうした話をする看護師よりは、犬の看護のほうがまだマシだ、とまで書いています。「何よりも犬は喋りませんからね」。辛辣。



幡野広志さんの、周囲からのアドバイスについての経験も共感したけれど、ナイチンゲール様も仰っていたのね😊



幸い、私は辟易とするまでのことは経験しなかったけれど、それでも家族からのアドバイスやら何やらはある訳で。

それはまだ、私を心配してのことだと思える程度であるし、かなり抑えているのが伺えるから、「ありがとう」と答えられる。



怒りが湧いたとか、悲しかったとか、ムッとしたといったレベルでは決してないが、複雑な気持ちになった言葉などはある。



自覚症状があってがんの検査を受けた時、「絶対、大丈夫だよ〜」。


回復しないかもしれない副作用について話した時、「命には変えられないもんね」。


がんになる原因について、アレコレ挙げられた時。


がん予防や副作用に効果的なことを、沢山情報を送ってくる事。


「もう絶対大丈夫だよ(再発)!まだ必要とされているんだから」。




はい、勿論どれもこれもありがたいんです。何より、「生きていて欲しい」というのが根底にあるわけで、言葉はそこにくっついているだけ。

その言葉は、時に涙が出るほど安心したり、受け止めてもらえたと感じることもあれば、時に上滑りしていくこともある。気持ちだけ受け取って、言葉は右から左へと流す。



こう考えてみると、我が夫はありがたいなぁ。こういうの、一切ない🤣

もうちょっとさぁ…と思うことは多々あれど、「その励ましやアドバイスなんか、いらんわ!」なんて思ったことはない。



次男猫に至っては、神である✨

そこにいてくれるだけで、体温を感じだけで、あらゆることが溶けていく。励ましもしないし、アドバイスもないし、むしろ手間暇が掛かる(手間を掛けさせてくれる=私の存在意義)。

野良ちゃんも、出会うだけで「私も精一杯生きる」と思わせてくれる。



それにしても、ホントに難しい。

自分は今までどうしてきたかなぁ。

病気だけでなく、仕事への悩み、人間関係の悩みなど、周囲の人が立ち止まってしまう時、疲れてる時、どうしてきただろう。


…ごめんね。





「さぁ、ケージに入って寝ようね」の時の次男猫。