https://x.com/hatanohiroshi/status/1765521953191035192?s=53&t=NORFaRgm4Ijh6qYteDF8Ww



https://x.com/nonbeepanda/status/1765528703495463286?s=53&t=NORFaRgm4Ijh6qYteDF8Ww



https://x.com/hirohashi_med/status/1765495479717286327?s=53&t=NORFaRgm4Ijh6qYteDF8Ww



☝️3つのXより、以下に抜粋させていただきました。


緩和ケアはどこでも同一水準ではなく、バラつきがあるという現実がある

鎮静を悪としている緩和ケア医の書籍もあります。患者の意思決定の弱さが招いてる側面もあると思いますが、最終的には運なんですよね。医師運と家族運。

安楽死も緩和ケアもあくまで手段であって、終末期がより良いものになればいいなと願っています。



最期には苦痛緩和のための鎮静という手段もありますでも、患者によっては求めるレベルに達しないかもしれないそんなとき、安楽死という選択肢でないと救われない患者が一定数いるのは否定できません生きる権利を脅かすことがあってはいけませんが、安楽死についての議論を避けてもいけないとも思うのです



適切な緩和ケアを受けられるかどうかが運やコネの世界だし、鎮静できる医師が限られているというのが、緩和ケアに不信感や不安感を抱かせるのだと思う。テレビ番組で、痛みに苦しんでいる患者に患者の好きな演歌を聴かせる、という対処をしていた有名な緩和ケア医を見て唖然としたことがある。



医師との巡り合いは運であることを、薄々どころかハッキリ感じていたけれど。

緩和ケアが、まだこんなに難しいとは思わなかった。もう、がんの痛みで苦しみまくる時代は終わったのかと思っていた。


韓国ドラマで


「肺がんは、溺れているような息苦しさに襲われる」


なんていうセリフを聞いてしまい、


「ひぃ〜、やめて〜」


と思わず口に出てしまった。怖すぎる。

「顔つきの悪い」がんだったので、遠隔転移を恐れ、現在、肺にすりガラス陰影があって様子見の身としては、そんな情報を入れたくなかった💦



(急に細字に戻った)もっと、緩和ケアに希望を持っていたというか、楽観的に考えていた。

歳上の友人と、


「いよいよの時はさ、痛いのだけは嫌だから、モルヒネ打ちまくって貰うわよ(笑)」


なんて話をしていたけど、そんなことできないだね。

そりゃそうか。



いつかはみんな死ぬ訳だが、その「時」と「経緯」は選べない。

私にとっては、どれくらい生きながらえるかより、穏やかに死ねるかどうかが重要らしい😅

しかし、他の親族を見送ってきた両親の今までを見ていると、それが通じるだろうか。エンディングノートを書き記しておくのは重要だけど、その通りにしてくれるかは別問題だ。



https://x.com/hatanohiroshi/status/1765396238659358739?s=12



安楽死については、私の周囲ではまだまだ他人事であることが多く、語られることも少ない気がする。「そんな話をしないで」という感じですらある。

長女猫と暮らし始めた時、安楽死についてはとても考えた。動物病院では、あり得る事だから。そのような状況になった時を想定して、平常時から考えておこうと思った。

2匹の家族を見送ったが、安楽死はなかったものの、対照的な見送り方となった。

良し悪しは未だにつけられないし、次男猫の時はどうする?という自問自答に、答えは出ていない。

とにかく、今は私の方が長生きして見送ることが第一だ。



これから先の運がどうであろうとも、とりあえず受け入れつつ、その中で自分の幸せを守っていけるといいな。






お休み中、毛布をめくってみた🥰