ブログを書こうとしたときに、

ふと、「神聖な暮らし」という言葉を受けとった。

 

え、神聖な暮らしって・・・?

 

と表面の私はハテナが浮かび、とまどったのだけれど。

 

きっと、内なる私が書いてほしいことなのだろうと思い、

書くことにします(笑)

 

それで、私は写真が好きなので、何かこころ惹かれる写真はないかな~と探していたら、

去年、両親と行った壱岐旅行の写真が出てきました♡

 

いいじゃないか♪いいじゃないか♪

 

 

 

ということで、風が強く、メドューサのように髪が自由におどりくるう写真を載せてみました。

 

神聖な暮らし、っているテーマがおりてきて、

 

なぜ、この展開なのかなーと思ったけれど。

 

わたしは、両親と旅行した写真を見て、

 

ああ、両親や家族、友だち、大切なひとびと。

 

毎日のように織りなす日々の積み重ねは、

一瞬の楽しかったことや、うれしかったこと、嫌だったこと、悲しかったこと、

たくさんの小さな瞬間の積み重ねで。

 

ほんとうに、あたりまえのように、過ぎていくし、

あたりまえのように、おいしいご飯をつくってもらっていたし、

あたりまえのように笑い合っていたし、

なにもかもが 当たり前の 日常で、

あたりまえの暮らしで。

 

けれども、

 

けれども、

 

それは地球で暮らすほんの短い一生のなかでの、

 

まるで 奇跡のような一瞬で。

 

いつか、だれもがお空に還ってゆく。

 

そんななかのかけがえのない、愛の交流なのだ。

 

 

そういうことなんだね。

 

神社や聖地は、神聖な場所だけれども。

 

ほんとうは、暮らしのなかにこそ、

 

神聖なひかりが宿っているんだね。

 

尊いもの。

 

かけがえのないもの。

 

二度とはないもの。

 

すべての瞬間が二度とはない。

 

 

だから、暮らしは 神聖で。

 

暮らしのなかに、神聖はあるのだ。

 

おかえりって、迎えてくれるあたたかい声の中にも、神聖なひかり。

 

そして、一人暮らしでも、お部屋が迎えてくれる。

 

その、自分の居場所というあたたかさのなかに、神聖なひかり。

 

 

神聖な暮らしを、思いぞんぶん味わおう。

 

いま、地球に生きている私だから体験できる、

 

この神聖な暮らしを。

 

心ゆくまで、この幸せな時間を味わうのだキラキラキラキラ

 

 

・・・それにしても、内なる光からのメッセージは、おもしろいな。

何を書くのか、表面のわたしは、さっぱりわかっていないときでも、

内なる光はわかっているのだねニコ

 

 

 

~完~

 

 

かにたまからのメッセージでした黄色い花

今日も、あなたがこころ安らぎますように。

宇宙のあたたかい愛に包まれて、しあわせでありますようにラブラブ