みなさま、こんにちは♡

かにたまです。

 

 

シゴト中に、イライラすることが多くなっていた最近。

 

 

それは、誰かの言動にイラッとするというカタチで、現れてくるのだけれど。

 

 

ひと呼吸、落ち着いてみれば、わたしの中の不快感が爆発していることに気づいて。

 

 

ああ、ハートを置き去りにしているなあ、私。

と思ったわけです。

 

 

仕事中だからという理由で、仕事をきっちりやりとげることを最優先にしていて、

自分は置き去り・・・

 

 

でも、本当は

 

 

わたしの心とからだは、そんなことを望んでいなくて。

 

 

イヤだーーーーー!と悲鳴をあげるのが、「イライラ」さんの正体でした。

 

 

ちゃんとやらないとダメ!間違ったらダメ!シゴトができないとダメ!

という、自分の強迫観念。

 

 

今までの人生、体当たりで生きてきて、

壁にぶつかったり、自分を見失ったり、いろんな体験をして、

最終的にたどりついた自分の真実は、

 

 

そのままの自分を受け入れる。愛すること。

 

 

そのあり方は、わたしにとって、とても大切なものだったのです。

 

 

なのに

 

 

なぜか、

 

 

なぜか会社では、

自分の素のままで存在してはいけない(=なぜなら素の自分は無価値だから)という価値観を強く握りしめていたようで。

 

 

その怖れってけっこう大きくて、しかも肉体にしみついていて、

まるでロボットか奴隷のように、

自分の感覚よりも、シゴトを上に置き、最優先にしていました。

 

 

カラダにぎゅっと力が入って、

呼吸がとまっていて、緊張している状態。

 

 

ハートもカラダも、固くなっていた。

 

 

結果や成果を最優先する資本主義社会。

 

 

たしかに、そのおかげで、文明や技術が発展してきた側面もあるけれども。

 

 

人間らしさを忘れて結果のみを常に追い求めるあり方は、

何か人間としての大切なものを犠牲にしてきたのだと思う。

 

 

日本は豊かな社会だとは思うけれど、

精神的に追いつめられて病気になってしまう人や自殺する人も多い。

 

 

お金というごほうびをアメにして、

自分の感覚を置き去りにして、

働くのは・・・

 

 

ほんとうに奴隷だなあ、としみじみ思う。

 

 

会社で働くことが、わるいわけではない。

 

 

どこで、何のシゴトをするにしても、

「どういう意識で、シゴトをするか」

それを見直すタイミングがきているのだろうな。

 

 

自分の感覚を大切にして生きる。

 

 

それはプライベートだけでなく、

シゴトでも同じなんだなと気づきました。

 

 

そう、すべてにおいて。

 

 

中心となるのは、自分の感覚。

 

 

自分の感覚を大切にしながら、

会社や社会のゆたかさを共に創造していくことは可能だ。

 

 

自分ができることで、

自分の満たされるポイントで、

会社や社会の繁栄に貢献していく。

 

 

わたしは、まず自分のあり方を見直して。

 

 

自分の感覚を大切にする地点から、

会社の豊かさの創造に関わっていこう。

 

 

個人が人間らしさをゆがめないで、

豊かさを生み出し、分かち合っていくありかた。

 

 

大きな何かの発展のために、

小さな何かを犠牲にする時代は終わった。

 

 

そんなふうに感じます。

 

 

個人でも、社会全体でも、

そんなあり方へのシフトが起こっているタイミングなのでしょうね。

 

 

まずは、自分から。

 

 

自分の感覚を大切にすること。

 

 

自分の位置につくこと。

 

 

自分の位置につきながら、

調和して、共にゆたかさを分かち合っていける社会へ。