「未曾有」と「粛々」の中で生きて
あの日以来、ここ数日でよく耳にした言葉は、「未曾有」と「粛々」。
あと、まあ違う意味で「AC」も随分耳にしましたね。メロディつきで。
たくさんの人たちが「未曾有」の体験を通して、傷つき、いろいろなことを考え、悩み、想いをめぐらせ、願い、
そして「粛々」とできることを実行している。
節電、募金、そして祈り。
被災地では引き続き救助、救援を不眠不休で行っている方も多い。
そのどれもが「未曾有」の経験の中、試行錯誤しながら「これでいいのか?」と問いながらやっていて、
或いは一時を争うから、問う暇もなく動いている。
こういうときは、どれが正しいとか、間違っているとかないと思う。みんな戸惑っている。
批判や非難するのは簡単で、それよりも「受け入れる」ことが大事なのではないだろうか。
日々、みんな心配なのは同じだし、誰にも正解はわからない。
本当にできることをただ「粛々」とやるだけ。
義援金詐欺とか、被災地での性犯罪とか、そういうとんでもないレベルで最低の人は論外だが。
別にアピールでも何でもなく、ネイキッドボーイズBADMANのメンバーの何人かから、
「何かできないか」と相談を受けた。
私もあれ以来何かできないかとずっと考えていて、
実際に被災者を受け入れている武道館や味の素アリーナなどにも問い合わせた。
だけど、現在は受け入れ体制が整っていないので、ボランティアすら断っているという。
そんなところに慰問に行ったところで、ご迷惑をかけるだけ。
今はもどかしくても、やはり私たちに唯一できるのは節電や募金である。
一昨日、新宿FACEに延期告知の対応で行ったところ、
メンバーの仲沢君と会った。彼は心配してわざわざ来てくれたのだ。
自分も遠い埼玉だというのに。
そこでもやはり何ができるか?何をすればいいか?という話になった。
私は彼に言った。
「被災者の人にとっては、これからが大変で長い長い闘いになる。
もどかしい気持ちはわかるけど、何も今焦って何かやるのではなく、長い支援が大切なのではないか。
だから、チャリティをやるにしても7月でもその先でも何度でもやればいいのではないか」と。
すると仲沢君はこう言った。
「きっと今はみんないろいろなことを感じていても、日が経つと段々薄れてしまう。
ありがたみとか、助け合う気持ちとか。それが怖いですよね。とにかくそれを忘れないこと」
その通りだと思う。
節電し続けること。たとえ少額でも募金し続けること。その方が大事だ。
ネイキッドボーイズとしても、できることを長いタームで行っていくつもりだ。
今回の経験を通して、個人的にたくさんの発見があった。
例えば、電気。便座のコンセントをずっと抜いているが、便座が冷たいのは当然だが、
臭いもすごいことがわかった。ウォシュレットはこんなに消臭機能が優れていたとは驚きだった。
無理して真似はしない方がいいと思うが、冷蔵庫に残っていた(多分1ヶ月くらい前の)食パンを
牛乳と卵に浸してフレンチトーストのように焼いたら、普通に美味しかった。
コーヒーやお茶はお湯を沸かしたときに大量に作り、サーモスのマグに入れているが、
電気ポットで保温しておいて毎回入れるより、全然ラクで、しかも熱い。
今ある物で何ができるかをあれこれ考えて、工夫して作るのは楽しい。
炒めた玉ねぎいりのトマト缶があったので、ひき肉だけ買ってきて、
それだけで立派なミートソースがまず出来上がり、パスタを茹でて1食。
翌日は小麦粉と牛乳でホワイトソースを作って、冷蔵庫にある野菜を入れてホワイトシチューで1食。
そのミートソースとホワイトソースを交互に重ねて、間に茹でておいたパスタを入れて、
オーブントースターで焼けば、ラザニア風で翌々日に1食。(すみません、このときは電気使いました)
これ、パスタの代わりにお豆腐を入れても美味しいです。
などとやっていると、少ない食材であれこれ料理ができるんだなあ、と自分で感心した。
実はウチ、普通にお米が切れていて、どこ行っても買えなかったもので、
こんな「あるもので料理」を毎日楽しんでいました。
稽古中、ほとんどスーパーとか行けなかったから、冷蔵庫にあるのはかなり前に買ったものばかりで、
久しぶりに芽が出たじゃがいもの芽取りに必死でした。これも普通に美味しかったけど・・・。
こんなの、食べられるだけ幸せですよ、本当に。
賞味期限切れの食品を食べようと奨励しているわけでは決してないけれど、
こんなに食べられるんだとわかっただけでも発見でした。
これも私なりの「粛々」なんだなあ、と思う。
何だか、支離滅裂になって、何が言いたいんだか、よくわからないが・・・。
あの日以来、毎日、色々なことを考えて、色々なことを憂い、色々なことを発見し、色々なことを学んだ。
それはきっとまだまだ続くんだと思う。
この「未曾有」の体験を通して、自分の愚かさを知るとともに、前よりは少しだけ成長できたような気もする。
だから、やっぱり、それすらもありがたいと感じて、
今日こうして生きていられることに、心から感謝します。