私が最初に症状を訴えて始めに入院した病院で2週間もの間いろんな検査をした結果
「明日、救急車で都市部の某病院に運びます」

ちょうどクリスマス。私はその言葉を聞いてもう泣いて泣いて母にお願いしました。
「行ったら私は死んでしまう。だからお願い!行かせないで!行きたくない!」

困った患者・・・

だけど、あまりにも抵抗をしたものだから、母がお医者様と話し合いしてもどうにもならず、母の知人を呼んで、
「何とかこの土地にある大きな病院にも回らせてください。そして同じ診断だったら先生の言うとおりにいたします。」と説得成功。
で、一応紹介状というのかな?添書っていうのかな?書いてもらいましたが、母は家の近くの病院じゃなくて少し離れた所の大きな病院名を言ってしまいました。

話しが決まったら即退院。何も知らずに兄がクリスマスのプレゼントを持ってきたのですが、驚いていました。

家に帰ってから、兄が「何で近くの病院にしなかったんだ?俺も勤めているし、すぐに見舞いに行けるし、家からも通いやすいだろう。それに、今後すごく変っていく病院だ!そこにしろ!」

それもそうだ。。。

病院に行く前、1日掛けて母の知人の紹介で、家から電車で2時間ほどの所にあるお寺に行って、そこで前回出てきたお坊さんと出会ったのでした。

ご祈祷をしてもらって、有り難いお話など聞いて帰ってきたのですが、その時のお話しでは、お坊さんは奥様が癌だと聞いて50代の頃に出家をし、奥様を助けたそうです。

奥様も30年は生きている。そして、かなり霊能力もある。

帰り際に玄関先で座って私たちを見送ってくれた際に母が聞いたんです。
「どこの病院がいいですか?」って。それだけ。
奥様はしばらく無言になって考えておりました。
「○▲■※」って出てきましたけど・・・そういう病院はありますか?
そこはまさに、兄が私たちに勧めた病院でした。
「そちらに行かれるといいでしょう」

母は既に他の病院への添書を書いてもらっている。
だけど、それはまず無しとして、言うとおりにしたのでした。

外来で輸血をしようという事になったのですが、やはり入院させてくださいと帰宅後電話を入れ、次の日入院。そして透析決定。

血液検査から、血小板が無い、赤血球も子どもの3分の1程度。血漿と赤血球が分離せずの状態。
透析をやると血液を固まらなくする薬を使うので、恐らく出血多量で命は無いだろうと言われていたらしい。確率は99.9%助からない。とのこと。

母は「最後の思い出に生まれ育った街を見せたい」と外出許可を貰たのですが、実はその時針治療に行っていたのです。
針をすると3日間は赤血球が増え続けるとのことで、それに賭けたらしいです。

透析の日、ストレッチャーには膨大な量のティッシュやちり紙を積んでいきました。出血多量を想定してのことらしいです。
透析導入患者は私が最初だったから、大勢の医師が集まって居ました。

透析は成功!
医師が「お母さん、血液が一滴も出ませんでした。成功しましたよ、奇跡です」と後で報告されたそうです。

で、針を受けて3日後、朝5時にいきなり大量の鼻出血。何時間も止まらない状態になりました。

この話しは私が後で知る事が多かったのですが、本当に多くの方が私の命を救うために全力を注いでくれていたということ、本当に感謝しています。

また、タイミングも良かった。ちょうど先生や看護師さんが病院で透析を始めるにあたり、研修終わって帰ってきたときでしたから。

とまあ、長くなりましたが、私の最初の頃のお話しです。