カニ騎士です。

 最近は暖かいのか寒いのかよくわからなくなってきましたね。僕の精神状態もよくわからなくなっているのでまた、

整理しようとおもいます。

 

 みなさんは、無償の愛を上げたり、もらったりする相手っていますか?もしくは、家族からもらったと感じる出来事はありますか?

 僕はあるはずなんですが、今は思い出せません。家族や親しかった人との思い出に、無償の愛とつけれるほどの出来事が今はないというのが正解でしょうか。

 子供は親の介護をせざるを得ない。これは真理だと思います。でも、僕にはそれをできる自信がない。”愛”に必ず対価を求められているように感じてしまっているからでしょうか。

 

 無償の愛の基準は何だと思いますか?

 僕の中では、「明らかに相手に利点がないことをしてくれる」です。例えば、親が子を守るために仕事を放ってでも、その後に支障が出ようともなにかをする。そんな素振りかなと思います。

 僕の家ではそんなことがなかったかな…と最近考えます。

 大体、長期的に見て利点がある方を取ってきた両親。僕が壊れるまでは僕自身が我慢すれば学校のいじめ問題もなあなあにし、父は仕事ばかり。少年野球をやりたいと言った時も、結局は公文と水泳に差し替えられました。僕がゲームを欲しがれば結構買い与えてくれました。一見、愛ゆえ何でしょうが、実際は買い物中に邪魔されたくないからゲームでもしてろ、これが真意です。子供ながらに言われた記憶があります。

 高校時代に人間関係でトラブルになり、それを藁にも縋る思いで母に打ち明けた日。人生初めての家出をしました。数時間後に父から来た電話は、「母のために帰ってきてくれないか」でした。父は帰ってくることも、探しに来ることもせず、電話一本で。僕の良心に付け込んで楽して生きているのが家族。そんなイメージが少しずつ、深く僕の心に刻まれていきました。

 

 だからこそ、僕は「無償の愛」に執着し、今も憑りつかれているのかもしれません。

 親しい人には自分が損をしてでも優しく。人からもらえなくても自分があげればいつか「利用価値がある」ではなく愛してもらえると信じて。

 結果は残酷です。病気の果てに捨てられ、残ったのは疑心暗鬼な心とニコニコしながら僕の良心をいいように使う人たち。もう他人に無償の愛を上げることでさえためらうような、自分の中の筋を通せないほど精神が崩れていると感じてしまう。でも精神科に行って診断が出てしまえば、社会復帰がまた遅れる。八方塞がりなんでしょうか。

 

 どんなにいじめられても、どんなに苦しくても、立ち止まらずに必ず活路を見出して生きています。それはどんなに精神が壊れようともそうするでしょう。死への恐怖、過去を振り返ること、立ち止まることへの罪悪感。家族や友達をどんんなに嫌っても捨てられない。不器用で不格好な生き方ですけど、そうやって生きていくしかない。そう思ってまた進みます。そう思わないと、そう信じて歩み続けないと、多分すぐにでも僕という人間は崩れてなくなるでしょう。

 

 こんな駄文を読んでくれている人に伝えたいのは、お金や地位よりも自分を守ってくれる人が居るなら大事にしてほしいということ。そして、仕事や家事、当たり前と言われることを少しでもできていればもう十分だということ。僕みたいにやりたいことをやれるのに、勝手に自分で首を絞めて、自分に枷をはめて外せなくなっている人もいる。人を下に見ることは悪くないと思います。そういった発言を公にするのはよくないかもしれませんが、心の中で「こんな人もいるしまだ自分の人生捨てたもんじゃない」と思うのはいいと思います。その「こんな人」に僕を入れてください。それでいきれるひとがいるなら本望です。

 「やらない善よりやる偽善」

 人間、少しダメなくらいでいいと思うから。

 

 脱線が激しすぎましたね。

 まだ、息ができるうちはまた書きに来ます。それでは。