自己中だ

 

でもそもそも

人は自己中らしい

 

自分は自己中なみんなよりもっと自己中ということ?

 

別に表立って

頼まれごとを冷たく断るようなそぶりはしない

 

めんどくさいなと思って次からコンタクトを取らなくなる。

 

こういうことが何度も積み重なる。

 

一人が楽だって思ってしまう。

 

それでいいじゃないかと思えない

 

自分の矛盾に困惑する。

 

人は嫌いだし嫌いじゃない

 

自分を攻撃しない人は嫌いじゃない。

 

自分がないだけで

自分が大好きなのかもしれない。

 

自分にしか興味がない

 

それはみんな同じ

 

でもそれでもみんな

周りをいたわる気持ちも持っている。

 

それは自分が満たされていると思うからか?

 

自分はずっと空っぽだって気持ちだ。

 

周りからそう見えないだろう

 

普通の人間だ。

 

だけどなぜかずっと空っぽだ。

 

これが分からない。

 

何をしてもらっても

何をしても

空っぽになる。

 

そこの抜けたコップみたいだ。

 

水がたまらない。

 

厄介なのが、

水をたくさん灌ぐとこのコップが壊れそうになる。

 

底がなくても水圧で側面がどんどん削られていく。

 

みんなもこんな感じなのだろうか?

 

みんなが楽しいと思うことを楽しめない

 

これは保育園のころからあった

 

今でもそうだ

 

わからない

楽しいのか

わからない

何をしているのか

これは楽しいのか

 

じゃあ何が楽しいのか

何がうれしいのか

 

こういう人間は好かれる要素がほぼない

好かれたいのか?

 

違う

好かれようとしないのが

なにか不安みたいなものを感じる

 

好かれても

好かれ続ける気持ちと姿勢と概念がない。

 

前にも書いたけど

 

自分は自分含め周りは

 

ただ存在している

 

それで終わり。

 

そこから

かわいいとか

美しいとか

かっこわるいとか

素晴らしいとか

 

認識するのにものすごく時間がかかる。

 

存在を認めるというか

認識するだけだから

 

相手に気持ちを表現できない

 

あなたは私の前に存在している。

 

それだけだ

 

それしか言えない。

 

だからみんなの言葉の意図も汲み取るのに時間がかかる。

 

言葉の裏もわからない。

 

自分から行動もなかなかとれない。

 

今の自分は読んだ本の指示に従って行動している部分が多い。(あまのじゃく的な行動もある)

 

このブログもそうだ。

 

唯一自分の意志で行動し続けているのが

音楽だ。

 

これだけだ。

 

ただ音楽にも

 

ただそこに存在していると認識して終わってしまう。

 

分析とかも本にそうしろと書いてあったからそうしている。

 

心は空っぽのまま

本の指示に従って動く人形のようだ。

 

ただ、本当に他の指示に従順に従うなら

王様だったり教祖だったり

経営者だったり偉人聖人になる


世に言う上に立つ人になる行動も取るはずだ

そういう本も読んだことがある。


でもしていない

自分は人形じゃないみたいだ。

ただの怠けものもしくは愚かもの

葛藤が自分の本質なのか


でもこれはみんな同じだと思う。

選択を選択するのは苦しい
 

できれば成功道を進みたい

自分は完璧主義者かそれに近い何かだと気づく。

だから脳(思考)停止させたい
 

考えすぎる。


ポジティブは不思議と考えすぎない

考えすぎるからネガティブになる

考えないとポジティブになるはずだ


考えない

はとても難しかった。

今も難しい

意識しても
成功できない

難しい
難しい
難しい
難しい

思考は自分がとりこんでしまった
偏見の塊だ。

偏見で出来上がった自分の出す結論は

 

動かないことがいいことだ。

動かないでいることは悪だ。

 

 

この矛盾が自分を苦しめる

 

だから考えたくない

もう

もう何がなんだか

わからない