こんにちは。

頑張るたーたんですキラキラ

 

周りの友達からも叱られ、

「1ヵ月努力する」といった元夫。

 

 

 

年が明け、その1ヵ月が始まりました。

 

 

当時、私はパートで働き、

帰宅後に1~2人ピアノのレッスンをするという生活。

 

元夫は早番と遅番が1週間ごとに入れ替わるシフト制。

早番だと7時-16時、遅番だと17時-2時。

 

基本的な家事はほとんど私がしていましたが、

夕飯は元夫が作ってくれるようになりましたキラキラ

 

 

しか~し‼

 

 

私が母と物件をまわっていることから、

心変わりすることはないと判断した元夫は

1月中旬には

「気持ちが変わることはないってことがわかった」と。

 

 

そして夕飯作りもなくなりましたガーン

 

 

いやまあ、そうだけど…はやくね?笑

気持ちが変わらなかったらやらないんだ?

 

 

てことは、もし離婚を撤回したら

安心してやらなくなる可能性大じゃん!

と、ガッカリしたのを覚えていますもやもや

 

 

まあ、なんとなくわかってたけどね!笑い泣き笑い

 

 

それからはさらに具体的に

離婚へ向けて準備を進めました。

 

 

まず家にある物の整理。

 

私のもの下矢印

結婚する時に持ってきたもの。

結婚した時に私の友人からもらったお祝いの品。

犬と猫猫

結婚後に購入したパソコンPC(元夫はパソコン使えない)

元夫名義でローンを借りた楽器。

(残りのローンを私が元夫の口座に振り込むことで持っていくことを合意)

 

夫のもの下矢印

結婚前に夫が持っていたもの。

家具・家電すべてテレビ(結婚後に購入したものも含む)

家(新築で建てました)

 

ざっくりとこんな感じ。

ほとんど置いてきましたダッシュ

 

 

次はお金関係札束

 

慰謝料等はなし。

離婚を切り出したのは私だけど、

原因をつくったのはあちらだったので同意してもらえました。

それぞれの口座に入っているお金はそれぞれのもの。

別れる日まで生活費は今まで通り。

 

払うものも、

払ってもらうものも無しということで落ち着きましたOK

 

 

それから別れる時期時計

 

仲がすごく悪いわけではなかったので、

お互いにとって一番良い時期に別れようということになりました。

 

元夫は給料に扶養手当が入っていたので、

手当が入っているだけ給料が増えます。

私も離婚後の生活のための準備をしないといけなかったし、

元夫も少しでも給料が多い方が良いとのこと。

 

私の状況は、

家が借りられるのが2月中旬。

引っ越し等々行い、

住めるようになるのが2月末頃でした。

 

 

元夫は「少しでも長く一緒に」という思いもあったそうですが、

4月に支給される給与からは

扶養手当がない状態を作る必要がありました。

 

4月・5月・6月の給料でその年の社会保険料が決まります。

社会保険料が決まったあとに扶養手当がなくなると

給料は少なくなったのに社会保険料は上がっている、

という状況になりかねませんアセアセ


そのことを元夫に説明し、

私から提案したのは3月1日。

 

 

元夫も納得・合意し、残り約2か月間、

友達として仲良くすごしていくことになりました電球