私は「人に寄り添う」という言葉が嫌いです。

この文章だけ見れば、私はなんて冷たい人なんでしょう(笑)
別に否定はしませんが(笑)

どの業界でも「人に寄り添う」ことが当たり前に求められる世の中ではないかと思います。


私が「人に寄りそう」ということに違和感を覚えたのは大学生の頃でした。
色々とあり、悩みを友人に相談していた時でした。
電話で二時間ほどだったでしょうか。具体的な時間は忘れてしまいましたが、かなりの長電話だったのは覚えています。
相談したそばから、どんどんと不安な気持ちが強くなってしまいました。話をすればするほど、不安な気持ちから解放されず、むしろ誰かと話をしていないと居てもたってもいられない、そんな状態になっていました。

友人と電話で話をするということを何日か続けたところ、ある日、その友人がTwitterで「私が話を聞いて寄り添ってあげてんのに、なんでまた電話してくるの」と怒りの投稿をしていたのを別の友人から教えてもらいました。

ショックではありましたが、客観的に見たら私にも悪かった部分もあると思ったので1人で反省しました。

それはとりあえず横に置いて。


看護学生として、「人に寄り添って」と事あるごとに言われていました。
言葉としては聞いていても、果たしてそれが本当はいったいどういうことなのだろうかと考えてなかったのだとその時に気が付きました。

友人は私のために時間を割いて、話を聞いてくれました。確かに寄り添ってくれていたのだと思います。
だけど、「寄り添ってもらっていたか?」と言われると、正直、そうは思えなかったのです。

そこから、「人に寄り添う」ってどういうことなんだろうと立ち止まって考えるようになりました。

学生時代は授業と実習で精一杯で、考えつつも探求するようなことはしなかったため特に答えは出ませんでした。

看護師として働き始め、色々とあり
私は精神科の看護師でありながら、精神病患者になりました。

精神科という場所は「人に寄り添う」ということが最も求められるところの一つではないかと思います。

医療者、患者という真反対の立場から現場では「どんな寄り添い」がなされているのか体験、観察をしていました。

そこで、患者さんへ寄り添っているだろうと思える人に出会えませんでした。

私自身、通院を知っている先輩看護師からは「あなたに寄り添ってあげているんだから、感謝してね✨」と言われたこともあり。

私としては寄り添ってもらえている感覚は皆無で、むしろ下に見られて、先輩に従わないとどんな対応をされるか分からないというような恐怖感を感じるような職場でした。

恐怖感も感じつつ、どうして「寄り添ってあげる」ことの押し売りをされなければならないのだろうと怒りも感じていました。

相手のことを思って、人に寄り添っていれば相手が傷つこうともお構いなしなのかなと。


ネットで調べてみても、本で調べてみても腑に落ちるような「寄り添う」ということの答えは得られませんでした。

より‐そ・う〔‐そふ〕【寄(り)添う】
[動ワ五(ハ四)]もたれかかるように、そばへ寄る。
(小学館『デジタル大辞泉』より)

まぁ、物理的に近くにいるというのは分かります。

ネットを見ていると物理的なことだけではなくて〈心や気持ちが近づく表現としても使える〉なんて書いてあり、この意味が「人に寄り添う」ということなのだろうと思いますが・・

今になって考えてみると、
「人に寄り添う」って世間の人が当たり前に思っているよりも遥かに難しいことなんじゃないかと思うようなきがしないでもないのです。


まず、人に寄り添うっていう時に〈自分〉と〈他人〉がどういうものは分かってないとダメなんじゃないのかな?と思ってみたり。

そして、人の心の寄り添うってことなら〈心〉って何んだろう?って思ってみたり。

それを分かるようになるには、ただ生きていただけで分かるようにはならないんじゃないかと思うのだけど、どうなんだろうと思ったり、思わなかったり。


「人に寄り添ってる」「人に寄り添いたい」と言葉にしている人達に限って、寄り添うという押し売りだけされて不快な思いをすることが多かったような気がしないでもないのです。
何も分かってないような人が多かった気がするような、しないような。

何も分かっていないような人から「私は分かっていますよ(ドヤァ)」とドヤ顔をされて、腹が立つこともありました。

世の中には「他者へ寄り添い方」のハウツー本もあります。それを実践するだけで、「人に寄り添うことが出来ている」と評価されるのもなんだか腹が立ちますね。



私自身、人に対して何かしたい、出来ないだろうかという気持ちはあります。
でも人に寄り添うということはしたくない、というか出来ないと思っています。

結果的に寄り添っていることになることになるかもしれませんが、狙って出来るものはでない。

人って何だろう、人生ってなんだろう。
心ってなんだろう。

知りたい、分かりたいと思っても、知ろうと思うほど遠くなるし
分かりたいと思うほど分からなくなる。

分かったと思ったら、実は分かっていなかったり。

要は「人に寄り添う」ってめちゃくちゃ難しいと思うのに、
世間では普通の人、99%の人は出来るだろう、簡単なことだろうと思われているのが
勝手にやるせない気持ちになってしまうのです。


あとは、この話題しても必ず誰かしら
「人に寄り添うことが出来ないって冷たい人だね」と頓珍漢なことを言い始める人が出てくるのが鬱陶しく感じているのです。

話題にしたいのは「人に寄り添う難しさ」のはずがいつの間にか「人に寄り添えない冷たい人」と論点がズレてしまうのです。

そうなったら、私はとりあえず薄ら笑いをしてその場をやり過ごすだけになってしまうのです。


日本の看護学は欧米の論文や教科書を和訳して使っていますが、不思議なことに和訳される時に削られる部分があります。

すべてではありませんが・・
宗教的なことやスピリチュアルなこと、哲学的なことは排除されて和訳されることがあります。

だから、日本の看護師は宗教、哲学とは無縁になってしまうのにも関わらず、人生や人の心、生きる死ぬということを扱おうとするのは無理があるのではないかなと思ったり思わなかったり。

とりあえず、「人に寄り添う」ということはどういうことか。
もう少し考えるか、むしろ言わないで欲しいなと思う今日この頃です。