いやー


さっきまでものすごく集中して書いてたんですが、エラーで全部文章おじゃんに(笑)

あるあるな話ですが、たぶん怖いこと書きすぎてたからストップがかかったんでしょう。


とにかく、自分のダークサイドとの付き合い方。


いろんな経験をして、もう腹の中まっくろけっけ!鬼か悪魔か!みたいなこと、よぎりますよねー・・・


え・・。私だけかしら(笑)



ふっと、とにかく怖いことを考える癖があります。でもここのところ自分が満たされたからなのか、「だよねー、そういうこと考えるよねー、でもわたしは愉快なほうを選ぶよ」と切り替えが楽ちんになりました。


悪の許容という考え方。

悪は、許容なんてしません。光は、許容します。


この違いわかるかなー


こんにゃろ!大っ嫌い!という思いがわいたら、「わかるわかる!そういう場面あるとその人嫌いになるわー」と、自分にうなずいてあげる。

もう、完全に許容する。

「ああ、こんな考え方して私ってバカ!」なんてふうに反発しない。

反発そのものが、次なるモヤモヤをつれてくるんです。



マジわかる!そう考えるのも無理はない!と聞く耳を持つのが光です。


これって世界感覚で、全部言えちゃいますからね。



スイス知ってますか?

あちらの国は、永世中立国です。


なぜそれが可能なのか?


善も悪も許容しているから。


どす黒いカネも、善意の募金も、あの国ではただの数字。マネーになります。


重要なのは反発や排除ではない。

許容。


そこには負の連鎖が生じません。


逆に悪を排除することで、永世中立は・・・可能かどうか。

今の世界を見ているとちょっとわかります。


あとは歴史にも学べます。

ギリシア悲劇って知ってるかな?

エディプス王とか。(私もそれしか知らないんだけど(笑))

あれは人間のダークサイドがこみっと仕込まれているお話です。


子殺し、親殺し、近親相姦・・・


昔の賢いローマ人は、ああやって自分の中のダークサイドを表に出して、観劇というかたちで客観視してたんじゃないかな。

「すごい話よねえ、でもなんかわかるわあ。私たちってあんなこともあるかもね。でも平和に暮らしましょ」そんな心情で。


だから、芸術や映画とかの世界で、ショッキングな表現を忌み嫌うことはあまり意味がないのかも。


共感するところはもちろん共感して、また日常を楽しめばいいことです。


家族関係でもそうですね。


ギャーっとけんかして、大っ嫌い、でも、明日の朝はまた普通に食事したり。

紅茶入れたり、洗濯干してくれたり、掃除の時間が取れて嬉しかったり。


あれ・・・なんであんなに怒ってたんだっけ・・・

今怒ってないからまあいいや(笑)


ぐらいな感じで、ゆるくいきたいとおもいます(笑)


(笑)

話まとまらない(笑)



まるっ!