こんにちは、哲学するぼっちです


さて、今回はとあるアニメについて考察をしていきたいと思います





(SSSS.DYNAZENON公式ホームページより)




今回取り上げる「SSSS.DYNAZENON」は、2018年に放送し、大人気を博したアニメ「SSSS.GRIDMAN」の続編として製作されたアニメです。

ただし、続編とは言うものの、主人公やヒロインをはじめとする登場人物は一新されており、ほとんど別作品といって差し支えないです。

(ちなみに、2人ほど例外がいます。前作のGRIDMANを見ていれば、その正体が分かったりします笑)


本作は前作よりも恋愛要素が強いものとなっており、前作とはかなり印象が異なる感じです。

そしてその恋愛要素こそ、この物語を前作とまた違った面白さを引き立てているのですが、第1話「怪獣使って、なに?」において、何気ないシーンの中にちょっとした恋愛要素が絡んでいます。


冒頭のシーンにおいて、主人公の1人であるガウマが河川敷でホトトギスの声を聞き、ハッとした表情で顔を上げた後、またどこかへと歩き出すシーンがあります。


私は観た当初、ホトトギスがわざわざ音声として使われるということは、何か「死」にまつわることが出てくるのかもしれないな〜とぼんやり思っていました。


唐突な「死」という不穏なワードにびっくりするかもしれませんが、ホトトギスは「死出の田長」という別名で呼ばれており、昔の人はホトトギスが冥界、つまりあの世から来る鳥として信じられていました。

ちなみに、田長つまり田んぼで働く人の長という呼び名は、ちょうど田植えをする時期に鳴くところからその名がついたそうです。


さて、そんな何気ないシーンと恋愛要素がどこに結びつくのか。ここでガウマについて少し整理します。


5000年前、怪獣使いだったガウマは、将来を誓い合った「姫」(なお、作中では本名が出てきておらず、「姫」とだけ呼ばれています)を守るために、かつて仲間だった怪獣使いである怪獣優生思想と戦い、その結果、怪獣優生思想と共にガウマは死んでしまいます。しかし、怪獣の力によりガウマと怪獣優生思想は5000年後の現代に甦り、再び戦うことになります。


ここで注目したいのは、「姫」です。


実はガウマが死んでしまった後、「姫」はダイナゼノンを渡すために後を追うようにして自ら命を絶っていました。

そのことを知らないガウマは、「姫」も一緒に現代に甦っていると思い、怪獣と戦いながら「姫」を探し続けます。しかし11話において、謎の声により「姫」はダイナゼノンを渡すためにガウマの後を追って自ら死んでしまったこと知り、「姫」は現代に甦っていないことを悟ります。

ここで、先ほど述べた冒頭のシーンに戻ります。

ホトトギスの鳴き声を聞いて、どこかに歩き出すガウマ。その鳴き声に導かれるようにして辿り着いた先は、「姫」と共に過ごした景色と似た場所、橋の下の河川敷でした。


冥界から来る鳥であるホトトギスと、「姫」とガウマが共に過ごした景色と似ている河川敷


このようなところから、このホトトギスの鳴き声は、「姫」を暗喩しているのではないかと思います。


ちなみに、謎の声は原作である電光超人グリッドマン18話のセリフであり、「あなたに会いたくて死んだのよ。あなたに、これを渡そうと。」というものです。

しかし、劇中ガウマ自身は「姫」からダイナゼノンを『渡された』ではなく、『託された』と言っています。なんとなく、そこにはこだわりのようなものも感じられます。

確かに、『渡された』というのは、なんとなく無機的に感じますが、『託された』にすると、なんとなく有機的で、その人からの想いというか精神的なものを感じるようになります。

実際にどのような意図があるのかわかりませんが、個人的には、この『託された』という言葉もホトトギスと絡んでいるのかと思っています。というのも、ホトトギスは托卵をする鳥だからです。

他の鳥の卵を落とし、他の鳥から餌を貰って成長するという生態であるために嫌われることもありますが、「託」という漢字が使われているところ見ると、なんとなくガウマの『託された』という表現とホトトギスの繋がりを感じてしまいます。




(ぽにきゃん-Anime PONY CANYON「4/2(Fri)放送開始『SSSS.DYNAZENON』PV3」より)



続いては、本作のヒロインである南夢芽はなぜ約束を破るのか、というところについてです。


第1話において、南夢芽は色んな男子に声をかけて会う約束をしたかと思えば、それを破って会う人を放置するという、一見奇行とも思えるようなことを繰り返していました。その噂は他クラスにも出回るほどであり、彼女は浮いた存在となっていました。


そして、そんな自分自身に対して

「私は、どうかしてるんだよ。」

と言います。


非常にミステリアスな言動で、印象的なセリフですが、初めて観た時は、正直頭の中は???でした。


なぜ、彼女は約束を破るのでしょうか。結論から言えば、それは過去に姉である香乃に約束を破られたからです。しかし、意図的に破ったのではなく、不慮の事故により亡くなってしまったため、結果的に破ることになってしまったのです。

そのような過去を持つ夢芽は、約束を破られた時、どのような反応をするのが「正しい」のか、放置した人を観察して「正しさ」というのを探っていたのだと思います。


ではなぜその「正しさ」にこだわるか、それは姉の香乃との関係性が曖昧なまま終わってしまったからです。

初めは仲のいい姉妹だった2人は、だんだんと距離をとりはじめ、いつしかあまり話さない仲になっていました。

そんな関係性の中で、突然香乃から合唱部の発表会にきて欲しいと言われました。しかも、家ではあまり笑わない香乃が笑顔で誘ってきたのです。

どういうことなのか、よくわからない状態だった夢芽でしたが、その後に香乃が死んでしまったため、その真意は分からず終いでした。


あの笑顔は何だったのか、香乃は自分をどう思い、自分は香乃をどう思っているのか、姉の死にどう反応するのが正しいのか、そんな悩みを夢芽は抱えていたのだと思います。


ここの部分については、かねてよりこのような考察をしてきましたが、これまでなかなかこれといった確証がありませんでした。

しかし、とある曲がその確証となり得るものであることに気がつきました。


それは、SSSS.DYNAZENONのキャラクターソングである南夢芽の「夢現.GREEN DAYS」です。


「走り出した」という歌詞と共に、駆け抜けるようなギターとドラムのテンポ感から始まるこの曲。個人的に大好きな曲なのですが、歌詞をよく見ると、かなり作品とリンクしていることに気が付きます。

そして、転調して一番初めにこんな歌詞が出てきます。


「語らない時間に置き去りになったような気持ちで正しささえも見つけられなかった」

(「夢現.G GREEN DAYS」作詞・作曲・編曲矢野達也)


「語らない時間に置き去りになった」というのは、普段笑顔を見せない香乃が、突然笑顔で発表会に誘ったかと思えば、また突然亡くなってしまったことに対しての困惑の心情であり、ここについては先ほど述べた極めて曖昧な関係性とも繋がるところです。

そして、次に出てくる「正しささえも見つけられなかった」というのは、恐らくは夢芽の悩み、すなわち、お互いに距離を取っていた関係性の中で、突然笑顔で発表会に誘われたものの、その後、死んでしまった香乃に対してどのような反応をするのが「正しい」のか、夢芽と同じように約束を破られた人達を観察しても見つけることが出来なかったことを示しているのだと思います。


このようなところから、夢芽は色んな男子に声をかけて、その度に約束破るという行動を取っていたのだと思います。



さて、以上が私の考察となりますが、お昼ご飯を食べながらなんとなくもう一度ダイナゼノンの1話を見たところ、色々思い浮かんだため、今回急遽このような考察を書いてみました。

そのため、結構粗い論になってるところがあるかと思いますが、そこは暖かい目で見て頂くと幸いです笑


他にも、怪獣優生思想のシズムの言う自由、すなわち他人に縛られないことを目指す消極的自由に対する哲学的な反論や、なぜシズムが他のメンバーと違い左手で怪獣を操るのかに対する論文をもとにした考察をしていきたかったのですが、疲れたのでここまでにしようかと思います笑


長文となってしまいましたが、ここまで見て頂きありがとうございます!