日経流通新聞の新製品コーナーから。

駐車場の車止めに、反射材でできた広告を貼り付ける。

車を停める際、必ず目にする場所なので、広告効果は高い。





こんなものも広告スペースになるのね、と意外に思った。

何も、看板やフリーペーパー、テレビCMばかりが広告媒体じゃないわけだ。


生活の中で目に付きやすい場所が広告媒体としては優秀なのだろうが、

それをもっと絞って、駐車場に車を停める際必ず見るもの、というところまで

狭めている。

今はまだ一般的でないだけ、意外性もあり、効果はけっこうあると思う。

それに、駐車場を利用するのは車に乗っている人だし、さらに、車止めをみるのは、

運転する人。

不特定多数を対象にしているであろう看板に比べて、広告の掲載位置自体が、

すでにターゲットを限定している。

ターゲットを絞れているので、さらに広告効果が高まることを期待できるわけだ。


特定の行為のときにしか目にしないもの、という視点で見れば、いろんなものが

広告媒体で使えそうだ。
情報商材はいくつか購入したことがある。

3つだったかな?

1つはIPO関係で、購入額を超える一応のリターンを得ている。

他の2つは、値上げ前に煽られて購入したような感じだ。

そう言えば、IPOのも煽られての購入だった。

でも、けっこう感謝してます。(笑)


さて、今回の主題は「アフィリエイトで稼ぐ高校生ってどうなの・・・?」
正しくは、
アフィリエイトでの稼ぎ方を販売する高校生ってどうなの・・・?
かな?


最初の感想は、

高校生も情報商材を売るような時代になったんだな

というものだった。

販売サイトも見てみた。

よくある作りのようだった。(ちゃんとは見ていない)

まあ、それはいい。



何か釈然としない。

似た話として、大学生がネットで稼ぐ、株で利益を得る、というのも、

何か違う

と思う。

この違和感はなんだろう?

個人的な違和感・・・


アフィリエイトが簡単だとは思っていない。

リアルな店舗での販売とはツールが違うだけ、と思っている。

普通以上の努力もしていると思う。

でも、何か忘れているような気がする。


高校生らしくしろ

とか、

学生は学問第一だ

なんて言うつもりもない。

でも、何だろう、この気持ち悪さは。。。
ダイハツの新型軽自動車「エッセ」の販売が好調らしい。

凝った作りの軽自動車が多い中で、あえてシンプルを目指した、という。

「軽は大きさに制約があるからこそ、知恵の出しがいがある。」

とは、デザイン部長の言葉。


もしかしたら、アイデアというのはそういうものかもしれない。

何らかの制約があってこそ、その中で何とかしようとする。

制約なしだと、自由に発想できるかもしれないが、それが果たして
使えるものかどうか、というのは別の話になりそうだ。


アイデアが浮かばないとき、まず制約条件を意識するのも良いかもしれない。
選択肢は、少ないより多いほうが良い。

ただし、それは、

何かを選び、他を捨てることができる人には

という条件付きだ。

また、多い、というそのこと自体には、何の価値もない。

多い、少ない、それ以前に

その選択肢は適切か?

という前提が要る。

砂漠で渇いている人に、ピザはいらない。

功名が辻、今回は「信玄の影」。


”影”というだけあって、本人は出てこなかった。


まあ、それは良い。


”小りん”のこと。


長澤まさみ、けっこう良い。


NHKも、10代の彼女に冒険させてるな、と思う。


前は「床上手」、今回は「抱いて」という台詞。


嫁さんとも話したのだが、彼女、すごく綺麗になりそうです。

NHK大河ドラマ「功名が辻」は、録画してだいたい1週間遅れで見ている。


今のところ、唯一、欠かさず見ている番組と言って良い。


司馬遼太郎原作、ということがその一番の理由だろう。


他にもいくつかあると思うが、その一つが「意外なはまり役」の存在だ。


それは、”足利義昭”役の三谷幸喜。


軽薄な感じがすごく良い(笑)

テレビショッピングはあまり見ない。
というか、テレビ自体あまり見ない。

でも、1人で食べる晩ご飯や風呂上がり、たまたま遅くまで起きているとき、
なんとなくテレビをつけることもある。

そういうとき、テレビショッピングを見るともなしに見る。

魅力的な商品の数々。。。(笑)


テレビショッピングの特徴の一つとして、「欲しい!」と「買う」がほぼ同時、
ということを挙げていいだろう。

しかも、「買う」ことに時間的・量的な制限を設けて、さらに「欲しい!」と「買う」の
タイム・ギャップを短くしようとしている。

つまりは、

「欲しい!」と思ったときが「買いたい」とき

そのタイミングを逃さないようにしているわけだ。


前置きが長くなった。


同じようなことが、学習方法でも言える。

どういうことか?


「わからない」ときが最も「わかりたい」とき

ということだ。

「わからない」ときが最も「わかる」とき

と言うこともできるだろう。

であれば、考えるべきは、

「わからない」と「わかる」のタイム・ギャップをどうやって縮めるか?

と言って良いと思う。


ウェブ、メール、電話、辞書・・・ツールはいろいろある。

それらのツールを含めた環境を作る必要がある。

あとは、「わからない」と正直に感じとれる素直さかな?
毎月25日は給料日。
毎月決まった時期に、確実にまとまったお金が手に入るのは嬉しいことだ。
金額もある程度予測できるし。

さて、給与明細は、前日に配られる。

25日が休日(土曜日)なので給料日は24日。
給与明細は今日配られた。

上司から手渡されるのだが、今回、片手で受け取ってしまった。

両手で受け取るべきだったとちょっと反省している。

ちょうどパソコンでエクセルの作業中で、考え事をしていたということもあるが、
表面的な行動は同じ。

おそらく上司は気にもしていないだろうが、自分が気になる。

こういうところにも、自分をどれだけコントロールできているか?ということが
顕れるように思う。

自分のやることは全て自分の表現だ、という考え方から言うと、それは自分の
表現したいことではない。
「滑稽」とまで言うと、言葉が過ぎるかもしれない。

しかし、そう思ってしまう。

恋愛相談。

以前も書いたが、広島FMで「ランチタイム恋愛向上委員会」というプログラムがある。

今日の相談内容

広島在住37歳バツ2の男性
彼女は25歳で東京在住
4年間の遠距離恋愛
彼女から「結婚したい」といわれたが、彼女のお父さんは会ってくれない。
最近、21歳の娘に言い寄られている。
どうすれば良い?

こんな感じだったかな?


俺の回答

どんな未来が欲しいのか、それがはっきりすれば、あとは手法の問題だけ。


思うに、相談というのは、

現在の状況にどう対応するか?、

という視点では答えが出ない。

現状と欲しい未来、そのギャップ、という考え方が欠かせないと思う。


現在だけを相談しても仕方ないのだ。

現状の分析だけならやらなくても良い。

将来どうしたいか、どうありたいか、があって初めて現状を分析する意味がある。


そして、結局のところ、方向性は自分で決めるしかないです。
ふと思った。
情報化社会とは、つまりは選択肢が増えた、ってことなんじゃないのか?
そうすると、選択肢が増えたことそのものは大して意味がないような気がする。
何をするか?
ではなく、
どうあるか?
という命題は何も変わってないんじゃないの?