三淵嘉子さんをモデルとした

「虎に翼」が放送されている。

 

三淵さんと共に

女性で初めて司法試験に受かった人は

中田正子さん久米愛さんがいる。

 

この3人について記された

「三淵嘉子・中田正子・久米愛

日本初の女性法律家たち」という

本がある。

そもそもは

「華やぐ女たち」で出版された復刻版らしい。

 

3人の一人・中田正子さん

当時存命しており、いろいろ語っている。

 

中田正子さんは、

東京府立第二高等女学校を卒業

在学中、バスケットボールに打ち込んだ。

大正12年(1922)から昭和3年(1928)の

ことであったという。

 

私の女学校はスポーツがとても盛んでした。

金栗先生もおられました。

日本のマラソン選手の草分けの方です。

私は金栗先生に地理を教わりました。

(佐賀千惠美著「三淵嘉子・中田正子・久米愛」より)

金栗四三は大正10年(1921)

第1回東京女学生庭球大会を仲間と共に開催。

正子さんが在学した大正14年(1925)には

第2回明治神宮競技大会でバスケットボール優勝

を遂げているらしい。

ちなみに大河ドラマ「いだてん」の主人公の一人

 

 

 

さらに、正子さんは、

昭和6年(1931)、日本大学法学部に入学。

 

その頃、「あさが来た」の日の出大学のモデル

日本女子大学では、当時の校長は麻生正蔵で、

この年に亡くなり、その後を渋沢栄一が

その後に亡くなるまで続けたという。

その後は井上秀が校長となった。

「あさが来た」では宜のモデルとなっている。

 

女性が正式に入学できる大学は、

まだ東京にはありませんでした。

日本大学には「選科生」ということで入りました。

正規の学生ではありません。しかし、

全科目の授業と試験が受かられます。

(「三淵嘉子・中田正子・久米愛」より)

その後、三淵(当時は武藤)嘉子さんや久米愛さんと共に

司法試験に合格すると、

市川房枝さんらの祝賀会に招かれたという。

 

市川房枝さん広岡浅子の勉強会に参加した一人である。

 

多分、「虎に翼」には描かれないかも知れないが。