「虎に翼」のモデル

三淵嘉子さん、

 

息子の芳武さんによると、

「母の人生は闘いだったんです」という。

 

ドラマではどこまで描かれるか分からないが、

「原爆裁判」がある。

裁判資料には嘉子さんの署名がある。

本人は生前、裁判について語らなかった。

 

元々

昭和30年(1955)に

大阪と東京で広島・長崎の5人が原告となり、

昭和35年(1960)2月から

昭和38年(1963)3月までの

9回の口頭弁論が東京地裁で開かれたという。

 

嘉子さんの息子・芳武さんも

「内容については聞いたことがなかった」らしい。

 

唯一回想しているのが高桑昭さん

「原子爆弾投下という大きな現実の問題について

日本の裁判所が一つの結論を出すことになるので、

若い者が扱うには荷が重すぎると思った」と語る。

 

裁判長は古関敏正さん。

判決の言葉がすごい。

これは取り上げてほしい。

 

 

また、女性差別とも戦っている。

「三淵嘉子と家庭裁判所」によると、

昭和45年7月に最高裁人事局長・矢崎憲正の

発言に際し、

嘉子さんは当時、日本婦人法律家協会副会長であり、

野田愛子さんとともに発言を確かめ、

要望書を会長の久米愛さんとともに抗議したという。

 

他にも、

少年法の引き上げ議論でも最高裁長官の石田和外と議論し、

たしかに戦っている。

 

すべては描かないかもしれないし、

亡くなるまでは描かないかもしれない。

 

他にも久米愛さんや

中田正子さんの活躍も取り上げてほしいと願う。