今日で最終回を迎えた
「らんまん」
万太郎が仙台で見つけた新種の笹
万太郎は完成した図鑑を寿恵子に見せ、
最後に「スエコザサ」を見せる。
実際、牧野富太郎が北海道に
マキシモヴィッチの式典のため
札幌での講演を行ったのは事実。
妻の寿衛はこの頃
入退院を繰り返していたらしい。
「らんまん」では、
二人が寄り添う姿が映された後、
植物を探す万太郎と生徒たちがいた。
寿恵子が「私が死んでも」と言う言葉と
「そこに私がいます」の言葉通り、
若く元気な寿恵子と万太郎が話す姿、
とても良かった。
寿恵子の死は描かなかったが、
昭和3年(1928)2月23日
寿衛は入院し、54歳で亡くなった。
妻が重態の時、仙台から持ってきた笹に新種があったので、私はこれに「すえこざさ」と命名し、「ササ・スエコヤナ」なる学名を附して発表し、その名は永遠に残ることになった
(「牧野富太郎自叙伝」)
昨日の回で、寿恵子が図鑑の一枚一枚を見る場面があり、赤い文字があったが、
実際の富太郎も新たな発見があると、
自分で書き直していたらしい。
ちょっとの場面で再現していた。
そのスエコザサは牧野富太郎庭園にもあり、
句碑には
「家守りし妻の恵みやわが学び」
「世の中のあらん限りやスエコ笹」
の富太郎の句が刻まれている。