今日の午後、函館市中央図書館にて

「ご子孫が語る新撰組土方歳三・永倉新八」

の講演を聞きに行ってきた。

 

土方歳三の子孫・土方愛さん

永倉新八の子孫・杉村和紀さん

 

現在、函館で開かれている

「ゴールデンカムイ展」の話もあり、

貴重な話がたくさんあった。

 

土方さんは、歳三について

「多才な面を持った生き方」と言う。

幼少期と青年期、京そして函館、

いろんな顔を見せている。

 

杉村さんは、新八が

後に松前藩に帰藩できたことは

「滅多にないこと」と言う。

松前藩の上屋敷は御徒町にあり、

歳三は上野広小路で奉公をしていた

「どこかですれ違っていたはず」とも。

さらに、榎本武揚も上野方面に住んでいたらしいという話も。

 

板橋の慰霊碑の話では、

義衛(永倉)は、藤田五郎(斎藤一)と近くに住んでいたらしい。

元隊士たちの情報は、中島登らと情報交換して知ったうえで、慰霊碑に刻まれているとか

 

杉村家の話では、

孫の道男が池波正太郎さんに義衛のことを伝え、それにより「幕末新選組」などに活かされたらしい

 

確かに、

「幕末新選組」のあとがきには

現在(昭和39年時)も、新八の孫にあたる北海道在住の杉村道男氏宅に新八老年の胸像が残っているが、この胸像の顔を写真にとり、私は人相学の書物を買って来たりして、彼の好ましい風貌をたのしんだりしたものである

(「幕末新選組」)

とあり、道男から聞いたのが窺わせる。

 

身長は165センチくらしだったらしい。

好んだのは「木綿の大島の和服」。

お膳を運んでいたという話もあった。

 

「ゴールデンカムイ」の中で、

第30巻の永倉の言葉で

 

土方歳三に助太刀してくる

今度は最後まで付き合いたい

(第293話 侵入者)

の言葉は、

お二人とも感動したらしい。

 

杉村家には、

近藤勇と歳三の写真を仏壇に飾り、毎日義衛が手を合わせていたと伝わる。

その写真は、近藤芳助が横浜の写真館で複写したものを、久米部正親と義衛の3人で共有していたらしい。

遺言は、板橋の近藤勇の墓の隣に建ててくれと言うのが遺言らしい。

そのために建てられている。

 

土方さんは、歳三について

「やるということはやるというところは尊敬」していると。

歳三の甥・作助との話を紹介していた。

あと、庭先に建てた青竹の話も。

 

「ゴールデンカムイ」については、

土方さんは

「自然と文化、歴史を伝えている」と。

杉村さんは新八の描き方に

「強いのを意識して描かれている」と話していた。

 

こういう講座また開いてほしいなあ。

今度は、斎藤一の子孫とか呼べないかな。

 

 

写真OKの時間があり、

その時の写真。