「どうする家康」ではどう描くかは

分かりませんが、

じきにやってくる

信康事件

 

様々な文献を読むと、

 

信康の正室の五徳より

父・織田信長12か条の書状を送った。

その内容につき、

信長は酒井忠次を呼び正したらしい。

 

その際に、酒井が

「その通りでございます」と反論もしなかったため、

信康の運命は決まってしまったとの説もある。

 

だが、「三河物語」では、

左衛門督の中傷で腹を切らせることになった

 

と書かれている。

 

「信康自刃の真相」(熱田伸道著)には、

 

忠次に関連付け、中傷という言葉が三度も出てくる。忠次は「その通りです」

と言っただけで、中傷するような文言は発していないのである。

明らかに作文ではないだろうか。

とある。

 

信康の死後のこと、

忠次家康「お前も子がかわいいか」と言った話だが、

 

上記の書によると、

忠次が病床の折、「後をよろしく」家康に言ったことがあり、

それに対し家康が言った言葉らしい。

信康の死後には、自ら謹慎した家臣もいたらしい。

 

信康も21歳の若さだったという。

この人が生きていたら、関ケ原の戦いで活躍したのだろうか。