会津戦争の折、

娘子隊という女性だけの隊があった。

中野竹子をはじめとした女性たち。

だが、資料を調べると、

「婦女隊」ともいう。

その中に、神保雪もいた。

雪は、神保修理の妻であったが、

修理は、鳥羽・伏見の戦の折、

責任を問われ切腹。

 

かつて、年末時代劇「白虎隊」では、

 

神保内蔵助の言葉が

「誰かが背負わねばならぬ・・誰かが犠牲となって、我が会津藩をまとめねばならぬ・・誰かが・・・」という言葉の後、

修理が

「分かっております、父上、修理が責任を負うことで、会津藩が救われるなら、修理はむしろ喜んで」という言葉があった。

 

その雪は菊地良の「神保雪小伝覚書」によると、修理の死後

その志を継承して恭順説を唱へ婦人の身を以て会津を戊辰の戦況より救はんとしたる人也。

という。

 

「八重の桜」でも描かれていたが、

悲しい最期を遂げる。

 

それを証言したのは、

土佐藩士・吉松速之助であった。

余婦人の情を憐れみ特に其の乞を容れて脇差を与へたりしが、之を以て屠腹して相果て在り

 

とその最後が語られている。

この菊地氏の「神保雪小伝覚書」で

雪の新たな面が見える気もする。