最近、若い頃に聴いていた音楽を

再び楽しむのがマイブームです。

 

1978年、中学3年生の時、

初めてABBAの曲「ギミー!ギミー!ギミー!」を聴いたとき、

その衝撃はまるで雷に打たれたようでした。

 

その一曲で、私はすっかり彼らの虜になったのです。

 

ABBAの中でも特に

「Thank You for the Music」と

「Fernando」が好きです。

 

このようなスターは、

ABBA以降の世代にも次々と現れるものです。

 

それは音楽だけでなく、

スポーツや小説、お笑い、

学問の世界でも同様です。

 

多くの人がその魅力に惹かれ、

自らもスターになろうと努力します。

 

人が努力するエネルギーの源泉となるのです。

 

私自身、

努力次第でスターになれるのではないか、

と、これまで考えてきました。

 

ある程度の努力で、

自分で納得できる人生を

送ってきたと思っています。

 

しかし、

スターや大金持ちになる人々は、

特別な才能と運を

持って生まれてきたのではないかとも感じます。

 

 

スターになる人、脚光を浴びる人、

大金持ちになる人は、

特別な星の下に生まれてきたのだと。

 

しかし、誰がその星の下に生まれるかは、

「神のみぞ知る」ことであり、

誰にもわかりません。

 

これは、16世紀の宗教改革で登場した

プロテスタントの教えに似ています。

 

当時のカトリック教会では、

罪を許してもらうためにお金を払う「免罪符」

という制度がありましたが、

これは不公平なものでした。

 

この不公平に立ち向かったのが

ルターやカルヴァンで、

彼らは「予定説」という考え方を広めました。

 

予定説とは、

多額の寄付をした人が天国へ行けるのではなく、

神に選ばれし者だけが

天国に行けるという考えです。

 

誰が天国へ行けるかは神のみぞ知ることであり、

人々はその答えを知ることができません。

 

だからこそ、神の思し召しに沿う行為、

つまり一生懸命に職業に献身することが

大切だと考えるようになりました。

 

このように、

スターになるか成功するか、よりも、

夢や目標に向けて努力することが大切なのです。

 

たとえスターになれなくても、

一生懸命に生きることが

自分や他人のためになるのだと思います。

 

それこそが、

これまでの人類を発展させてきた者たちへの

思し召しに沿う行為だと思います。