私は3月で役職定年し、

4月から異動になった。

 

今年度末で正式な定年だ。

 

給与は7割程度だが、

ボーナスは想像より多かった。

 

いったん退職して、

再任用で働く選択より正解だったわけだ。

 

 

ところで

「老後2000万円問題」

がある。

 

退職後、年金に加え最低2000万円が

必要だと言われている。

 

年金の支給年齢も上がるうえ、

毎月保険料を払うと、

かなり目減りすることもわかった。

 

 

今まで考えたこともなかったが、

時間を使ってじっくり考えてみると、

労働期間を引き延ばすしか手がないことに気づく。

 

多少の貯えや退職金があっても、

いつまでもつか不安だ。

 

 

若い頃から

「老後のことを考えて」などと、

念仏のように聞かされてきたが、

 

結局はその年齢、

その立場にならなければ、

真剣に考えたりはしないものだ。

 

 

こうした中、

妻の両親の認知症も進行していて

妻のことはわかっても、

自分のことは認識できなくなった。

 

これも未来の自分なのかと思う。

 

ところで、

先日、地方銀行の元会長と

話をする機会があった。

 

地方銀行でも、

社長や会長をすると、

いろいろな「充て職」がついてくる。

 

公益法人の評議員、

監事や理事、

 

また、

地方公共団体の「委員」などだ。

 

こうした充て職は、

有識者ということで指名される。

 

「充て職」としてついてくるが、

これが名誉だったり、

既得権だったり、

資金源だったりするわけだ。

 

だから手放したくはない。

 

公共団体の委員会も、

企業の部長レベル、

社長・会長レベルとくっきりと線引きされていて、

職の階級に応じた集団が形成され、

偉い人が集まる委員会の権威は高い。

 

知事や警察本部長が参加する委員会には

社長・頭取レベルが充てられる。

 

 

この元会長も78歳という年齢になり、

この4月から「会長」を退き、

「相談役」になったと聞いた。

 

すると、

多く抱えていた

充て職もなくなる。

 

この人は、

「それが寂しい」と言った。

 

はたからは、

「あなたもう十分でしょう」、

と思われているものの、

当人は全くそうは思ってない。

 

まだやれる、

そしてまだやりたいと思っている。

 

 

組織の未来のために

「若い世代に譲る」

という考えは皆無のようだ。

 

むしろ「自分が居なければダメになる」

とさえ思っている。

 

自分の感覚と、周囲の評価とが

大きく乖離しているものの、

本人は気づこうとしないばかりか、

誰もただすことはできない。

 

一度得た職分、既得権は

手放したくない。

だからいつまでも居座る。


これが日本の現状だ。

世の中にこうした人はたくさんいる。

 

 

迷惑老人と言われる人、

「老がい」と言われる人。

たくさんいる。

 

賢い人は

「引き際」を考え実践している。

 

「引き際を知る」とは

とても大切なことだ。

 

 

これも、この年齢、この状況になって

ようやく実感したことだ。

 

その立場に置かれなければ

わからないことが多い。

 

 

年をとるにつれて、

人から忘れ去られる存在、

誰にも気づかれることなく死んでいく、

それが、最も適した終末の迎え方だと思うようになった。


これもこの歳になって思う

自分の変化だ。