この3月で役職定年を迎える。
これまで一生懸命仕事をしてきたため、
来年から仕事が存分にできないは残念だ。
まだまだ職場に貢献できるのに、
規則だからと役職定年になるのは
とても残念だ。
だから、転職も含め、
検討している。
行動を起こさないと、
受け身では何も変わらない。
やりがいのあることを
見つけなければならない。
だから、まず、
「自分がやって楽しいこと」、
「至福と感じること」について、
洗い出すことから始めた。
それによって、
今後の生き方や、
やるべきことが見つかるのでは、
と考えている。
自分が楽しいと思うこと、
これまで、
1「新聞」、
2「ドラム」、
3「アマゾンプライム」、
4「トレーニング」、
5「教養-情報インプット」、
6「地方旅行」について述べた。
今回は7「自家用車」だ。
私は地方に住んでいる。
大学院を修了し、就職して36年がたつ。
地方ではマイカーは不可欠だ。
仕事でもプライベートでも、
車のない生活はありえない。
そして私はドライブが好きだ。
運転が趣味でもある。
旅行も車で行くほうが楽だ。
なぜなら、時間を気にせず、
いろんなところに立ち寄ることができるし、
疲れたらいつでも休憩できる。
私は独身の時は、
ミッションの走る車に乗っていた。
結婚して子供ができると、
ワンボックスの車になり、それから
ワンボックスの車に約30年乗った。
子供が手を離れ、
子供の自転車を載せなくてもよくなり、
4年前からマツダのcx-5という車に乗っている。
マツダのcx -5を買った理由。
①ディーゼルの設定がある。
②新車で300万程度でそこまで高くない。
③ミッションの設定がある。
④車中泊ができる。
⑤2200ディーゼルターボでよく走る。
実際に高速道路での走りと安定性は、抜群だ。
また、燃費が悪くても17キロ走り、ミッションだから、信号前の惰性走行やエンジンブレーキも使いやすく、燃費向上に役立っている。ディーゼルだから燃料費が安い。
ミッションにしたことを、買ってから後悔するかと思ったが、それはなかった。
ところが、今は手放そうかと思案しているところだ。
なぜなら、免許を返納した母の軽自動車があり、これで十分だと考えるからだ。
母の車は7年前のタント。処分するべきなのだが、私の子供たちがたまに帰省した時に利用するかと考え、そのままとなっている。実際はほとんど使ってない。
また、私の車に複数で乗車することは年に数回だけで、一人で乗るのがほとんどだ。
田舎暮らしには軽自動車で十分だと思うようになった。そして役職定年だから、余計に思う。
ステイタスで車を選ぶことは、自分の性分に合わない。
私は基本的に無駄が嫌であるし、何でも断捨離したいたちだ。
だから、いっそのことcx-5を手放そうかと考えている。いくらで売れるとかは、あまり関係なく、余分にあるというか状況が気に入らない。
cx 5かタントか、どちらかを手放すという場合、走りなどは良いが、税金や保険料、オイル交換やタイヤ代などのランニングコストを考えると、タントを残したい。単に燃料代だけを考えると、cx-5のほうが安くつくが。
タントがダメになった時は、また安い軽自動車でいいと思っている。
全然関係のない話になるが、私は哲学書をよく読んできた。
多くの哲学者の中、
アリストテレスという哲学者に強くひかれている。
古代ギリシャの哲学者で、
プラトンの弟子だ。
この人は、目的論的に考えることが重要だと説いている。
目的論的に考えるとは、どういうことか。
例えば、フルート自体の本来の目的は、素晴らしい奏者によって奏でられることだ。それがフルートの目的ということだ。
フルートは物だから、人間のような感情はないが、目的論的に考えるということは、フルートの立場から考えるということだ。
私は車選びも、この考え方で選ぶべきだと考えている。
つまり、4WDジープの目的は、オフロードをガンガン踏破することであるから、オフロードなど走らない人は持つべきでない、ということになる。
また、フェラーリの目的は、200キロ以上で道路を突っ走ることだから、50キロ以上出さない人は持つべきでない、ということになる。
そのような使い方をすることか、その車の目的に合うからだ。
私のcx -5は、SUV(スポーツ用多目的車)と言われているが、そのような使い方をしない人は持つべきでない、ということになる。
私の今の状況で、通勤にだけ使用するのであれば、車の目的にそぐわないというわけだ。たまの車で行く旅行も、軽自動車で十分ではある。
だから、今後の使い方を考えて、合理的な判断をしたいと思っている。
役職定年になり給料も下がり、老後の資金も考えての判断になる。
定年退職するということは、ステイタスや見栄とも決別しなければならないのだと、この文章を作成して気づいた。