どっどっどっどっ
右頬を押し付けられた胸が、激しい拍動を繰り返している。
綿の入った着物から感じる湿気と熱気。荒い息。
駆けてきたのだ、この人は。
供も連れずに、息せききって。
「土方さん・・・・・・」
謎の鬼に怖さは感じていたが、わが身を案じてのことではなかった。
助けて欲しいだなんて思っていなかった。
なのに抱き寄せられた途端、厳重に封印された「手弱女」が両手に扇もって踊りだす。
そんな場合ではないことは、重々承知。
それでも、いつのまにやら取り落としていた提灯のめらめら燃える炎が照らし出した姿の、格好良さといったら!
「退(の)いていろっ」
叱責と共に背後へ押しやられても、覚醒した手弱女の身悶えが止まらない。
「何奴か」
刀の鯉口を切って、抜いて、腰を落として構える。
無駄のない一連の動きに惚れ惚れと見とれた私の横っ面を張り飛ばしたのは、「答えねば、斬る」低く告げた背中から噴き出した殺気だった。
「えらい邪魔が入ったなぁ。また今度にしよか」
対する鬼の、場違いに間延びした受け答え。
シッと鋭い息の音と共に、土方さんが凄まじい突きを繰り出した。
狭い路地で確実に相手を仕留めるために練られた必殺の突きを、鬼は片腕で受け止めた。
土方さんが刀を捻る。
貫かれた腕がぼとりと地面に落ちる様を直視できずに目を逸らし、戻したときには、もう鬼の姿はどこにもなかった。
腕の代わりに残されたのは、切り離された白い片袖。
「あ・・・・・・」
「行くぞ。騒ぎになる」
「でも・・・・・・」
刀を鞘に納めた土方さんに腕を掴まれた。
打ち捨てられた三つの遺体が気にかかり逡巡する。
「芋の仏が三つに、新選組の鬼が一匹。迷惑蒙るのは誰だ」
「土方さん」
「阿呆」
土方さんが犯人にされると思い至って震え上がったが、鼻で笑われてしまった。
「俺はかまわん。薩摩の芋なぞ、まとめて簀巻きにして大川に流してやりてぇ」
物騒な台詞を吐いて、土方さんは西へと顎をしゃくった。
「『上様』だろうが」
それ以上の思考は許されず、腕を引かれて歩き出した。
路地を出ると土方さんは身を離し、不自然でない程度の早足で先を行く。
釈然としないまま付き従い、私は握られていた手首を指先でなぞった。
うっすらと濡れている。
手首に残った感触は、体温が高めの彼らしくなく酷く冷えていた。
※初出 2019/10/31