目の前にはずらり並んだ茶色の薬ビン。
黄ばんだラベルに記されているのは横文字で、英語やらドイツ語やらまちまちだ。
近藤さんに知らされていた通り、新選組の負傷者たちは、浅草の医学館に引越しをした。
二十人余りいた負傷者のうち、ほとんどの人が翌日には退院し、残るは沖田さんを含めた重症者四人。
私に刀を託したことが気持ちの落ち着けどころとなったものか、沖田さんはあれから酷く咳き込むことがなく、おがで手が空く時間も増えた。
松本先生の講義録は、医学館にいる間は貸していただけることになった。
とは言え、いつまで江戸にいられるかわからない。
行く末については現状なにも耳に入ってきていないが、私の知る未来では、土方さんは蝦夷まで行くのだ。
このままずっと江戸に居続けられはしないのだから、急ピッチで書き写し、尚且つ翻訳しなければならない。
―――んだけどねぇ
辞書と首っ引きでおらねばならないはずの私が、日本橋の大店の奥座敷に居座っているのにはワケが
ある。
何かと目をかけてくださる松本先生の部屋で、とある薬品を見つけたことがきっかけだった。
「サリシン!」
「ふむ」
その同じ薬品を目の前の薬棚から見つけ出し、声をあげた私に、部屋の主はぼさぼさの蓬髪をかきあげた。
「そりゃ、歯痛に効く。頭痛にもいい」
いつもながら饐えた臭いが鼻をつく
足の踏み場もないほど散らかった座敷は、薬種や香油、消毒液など、雑多な臭いが入り混じっている。その中ですら臭うのだから、相当なものだ。
この、汚部屋にふさわしい男性の名は、清三郎さん。
どこも「清」くないが、清三郎さんである。
京都に本店のある薬種問屋の三男で、それはそれは甘やかされて育ったお坊ちゃんなのだそうだ。普通、商家においても大切にされるのは長男で、次男以降は養子に出されるか、居候扱いされるものだが。
松本先生いわく、「砂糖壷育ち」の清三郎さんは、傲慢に育つことはなかったが、見事な変人になった。
いったい何がきっかけだったのやら。
頭の出来も見目も悪くない彼の興味は、家業にも異性にも向くことなく、ひたすらに「知識」へと向いた。
親の溺愛をいいことに、立派な屋敷の奥座敷に引きこもり、日がな一日読書や実験に耽っている。知識欲を基にした収集癖も生半なものではなく、親の財力にものを言わせ、東西の薬品、器具、種子等々、溜め込み放題に溜め込んでいるのだ。
引き合わせてくれたのは、もちろん松本先生である。
「サリシン」を分けてらえないかと頼んだ私に、それはなかなか手に入りにくいシロモノだが、彼の人なら隠し持っているかもしれないとして、紹介してくれたのが清三郎さんだった。
極度の人嫌いだと言うから受け入れてもらえるのか不安だったのが、松本先生には「さくら君なら難ないだろうよ、ガハハ」と太鼓判を押され、事実そうなってここにいる。
私のどこが気に入ったものか、本人にそれとなく尋ねてみたところ、「同じにおいがする」と言われ、微妙な気分になった。私は、毎日お風呂に入っているのだが。
「しかし、代わりに胃の腑が痛む」
話題に上っている「サリシン」は、柳の根から抽出され、鎮痛薬として処方される。ただ、胃痛・嘔吐などの副作用が起こる。既に松本先生のお宅で勉強済みだったが、「そうなんですね」と頷いた。
「胃痛が起こらないようにできないものかと思いまして」
「ふむ」
「柳の皮からサリシンが抽出されたように、サリシンを基にどうにかできないかと」
サリチル酸は、現代では内服薬ではなく、湿布や肩こりなどに効く塗り薬などに使われている。
湿布や塗布ならば、胃にダメージを与えることもなく、鎮痛という薬効だけを享受できるわけだ。
「どうにか、」
「えーと、なにかを混ぜてみるとか」
「目星は」
「・・・酢、かな」
「酢では無理だ」
すでに試行済みかと驚いた。
もう一歩踏み込んでみよう。
「酢そのものではなく、酢からとれる何か・・・で」
サリチル酸に変わる、副作用の少ない解熱鎮痛剤。
それが何であるか、私は知っていた。アセチルサリチル酸。いわゆるアスピリンだ。
アセチルサリチル酸の合成は、高校生の時、化学の実験で行った。サリチル酸に無水酢酸と濃硫酸を加え、時折振りながらお湯にしばらくつけた後、氷水につけるとアセチルサリチル酸の結晶が取れるというものだ。試験にも出たので、記憶に残っている。
現代なら、薬品棚から、サリチル酸と無水酢酸と濃硫酸の瓶を取ってきて、混ぜ合わせれば済むところ、この時代に無水酢酸は、あるのかないのか。硫酸は、松本先生にお借りした本に作り方が載っていたからあるはずだ。
そして、必要なものの用意よりもなによりも、この世にいまだ生み出されていないものの製造法を、出自を怪しまれることなく伝えることが困難だ。
だがしかし。
言葉を濁す私に、清三郎さんは「まだるっこしい」と手を振った。
「あんた、知ってるんやろう」
不意に出た京訛り。
そういえば、ここ「八ツ瀬屋」の本店は、京都にあるときいた。
清三郎さんは江戸生まれのはずだが、奉公人には上方の人間が多いのだろう。
ここに通してくれた番頭さんらしき人も京都弁だった。
「全部ぅ教えいとは言わへん。ちょいと手がかりをくれたら、後は己で考えるさかい」
そうでないいとつまらん、と言う。
それでも躊躇していると、清三郎さんは鼻からフンッと息を吐いた。
鼻息すらも臭う。
けれど、息に煽らた前髪から覗いた双眸が、ハッするほど綺麗で。
誰かに似ている、と思ったが、重なりかけた影ははっきりと像を結ぶ間もなく、ぐわっと迫ってきた清三郎さんにかき消されてしまった。
「酢ぅをどうするんや?暖めるんか、冷ますんか、かき混ぜるんか」
とりあえず、風呂入れ。