宿はどこかと尋ねれば、品川の釜屋なる店だと言う。
―――品川!遠い!
優に一刻はかかるのではないか。
怪我人の近藤さんは駕籠に乗るだろうが、土方さんはどうだろう。
歩きだといい。散歩気分で楽しくお喋り、なんてわけにはいかないが、せめて並んで歩けたら。
肩を並べるのが無理なら、背中を見て歩くので構わない。
二人とも生き延びて、手を伸ばせば届く位置にいるのだという実感がほしい。
―――でないと
宿についたなら避けては通れない話題が、ある。
今すぐにでも問いただしたい。けれど、聞き出して確定するのが怖い話題。
いざ行かんと三人歩き出したところへ、「もし」と声をかけるお侍がいた。
何々家中の何某と名乗り、鳥羽伏見での戦の様子を聞きたがった。
近藤さんが、土方さんを振り返り、手招きをする。
土方さんは、「またか」と小さく舌打ちをした。
憮然とした面持ちのまま、それでも問われるがままに戦況を伝える土方さんの口調は淀みなく、何度も繰り返して覚えてしまった文面を諳んじるが如く。
淀で別れてからの状況もまた、淡々と語られたが、胸詰まる内容だった。
「しかして、淀の城には入れず、橋本宿まで退り申した。胸壁を築き、薩摩の追手とやり合いましたが、川の向こうの藤堂家から大砲を撃ちかけられ、いかようにもしがたく」
淀に続き、橋本でも味方と恃んだ相手に裏切られていたとは。
どれほどの絶望と無力を味わって、ここまで落ちてきたのか。
「大坂まで下り、援軍を求めに登城するも、板倉様にはお会いできず。それもそのはず。すでに板倉様は上様に伴われ、船の中でしたからな」
「御身も、上様に抗戦をお勧めするおつもりなら、無駄ですぞ」
土方さんの言葉尻を引き取った近藤さんは、慶喜さんを悪し様に罵った。
曰く、武士の風上にもおけぬ臆病者。、聞けば、肥後守様や、越中守様には、江戸にて一戦と謀って連れ出して置きながら、恭順するの一点張り。紅葉山の御歴代様にどう顔向けするおつもりなのか。
違う、そうではない。
何度遮りそうになったことか。
慶喜さんの痛ましいまでの葛藤、覚悟、奮闘を、ぶまけてしまいたい。
けれど、私にだって、それは決してしてはならないと、弁えるだけの分別はある。
真っ赤な顔で火を噴かんばかりの近藤さんに対し、土方さんは深としていて。
それでも、見上げた双眸はただならぬ光を宿していて。
彼の中で静かに滾るものがなんであれ、今後の波乱を予感させるものだった。
何某侍と別れ、待たせてあった駕籠に乗り込もうとする近藤さんに、秋斉さんから託された紙箱を手渡した。
慶喜さんからだと告げると、怒りの名残りを漂わせた近藤さんの顔に、さっと緊張が走った。両手で受け取り、額の前へ押し頂くようにする。あれだけ原を立てていても尚、徳川家に対する思いには並々ならぬものがあるらしい。
駕籠の扉が閉められ、内側からかさこそと紙を開く音がしたものの、それっきり。
駕籠が動き出してからも、釜屋についた後も、中身についての話は一切でなかった。
けれど、慶喜さんに対する不平不満も、その日を限りにふつりと途切れて二度と口にはされなかった。
※初出2019/03/14