「おい、平気か」
いきなりガンドウで照らされて、私たちは弾け飛ぶようにして身を離した。
「ひでぇ有様だな」
転がった二つの遺体をまたぎ越し、永倉さんか近づいてくる。
「ご苦労だった」
「ご苦労だったじゃねぇよ。ばあさんの話を聞くに、こりゃ私闘だろ。てめぇの厄介事に俺らぁを動かしたんだ、他に言うことあるだろうが」
路地裏にピリリとした空気が漂うのを感じ、私は土方さんの袖を強く引いた。
元々取れかけていたものが、本格的に破れてしまったが、どの道この羽織はもう使いものにならないだろう。
「・・・礼を言う」
あまりの棒読みに、永倉さんがへっと鼻を鳴らした。
「斉藤はどうした」
「あいつは真っつぐ平野社に向かった。道中、奇怪な獣の吼え声がするってぇ腰を抜かした野郎に出会ってな」
念のため回り道をしたところ、当たりを引いたというわけらしい。
「俺は平野社に着くまでに襲われた。斉藤には無駄足を踏ませたようだ」
「なら、呼び戻してやらなきゃあな。これの始末もあるし、奉行所にも一人走らせるか」
「いや、屯所に運べ。生き残りも、こっちで責める」
落とした刀を拾い上げながら、土方さんが首を振る。
血に濡れた刀は物打ちからひん曲がり、羽織同様使い物にならなくなっている。
「お前は私闘だと言うが、俺はそうは思わない。ただの私怨ではなく、もっと深い根がありそうだ」
「永倉先生!」
たとえば?と問うた永倉さんに、土方さんが口を開きかけたとき、弓張り提灯を提げた隊士が一人、走りこんできた。
「下手人の様子がっ」
聞くなり、私は永倉さんを押しのけて一番に路地裏を走り出た。
後ろ手に縄をかけられた先ほどの男が、隊士たちに取り囲まれている。
割って入った私が目にしたものは、うつろな目で激しく痙攣する姿だった。
永倉さんたちが駆けつける直前に、男が口にしたもの。
もしや毒ではと思ったのに、土方さん大事の気持ちが逸って忘れ果てていた。
「手ぬぐいを貸してくださいっ」
私の剣幕に戸惑いながら差し出された手ぬぐいをひったくる。
口に咬ませて舌を噛み切るのを防がねばならない。
てんかんの発作的なものなら、指をつっこむところだけれど、男の用いた毒物の正体が不明な以上、指を噛まれるのは危険が過ぎる。
「頭押さえて!」
「・・・ゆ、う」
男の口から何事か漏れた気がして、私は手ぬぐいを咬ませる手をとめた。
「い、く・・・い、・・・ゆ、う」
不明瞭ながら、同じ言葉を繰り返している。
何を言っているのかと、その場の全員が耳を傾けたその時、男は口を噤んだ。
目が極限まで見開かれ、首筋に太い血管が浮き上がり、両頬が大きく膨らむ。
「離れてっ」
私の悲鳴に、土方さんを含め、男の正面にいた隊士たちが左右に分かれて後ろへ飛び退った。
一瞬遅れて横っとびにその場を離れた私を追うようにして、男の口から鮮血が飛び散った。
一度、二度、三度。
夥しい血を吐いて、男は血だまりに突っ伏した。
あまりに壮絶なその様に凍りつき、しばらく誰も動かなかった。
「おい」
いち早く立ち直った土方さんに顎をしゃくられた隊士が、おっかなびっくりといった態で足を伸ばし、つま先で男の身体をひっくり返した。
確かめるまでもなく、息はない。
「何か口に入れたの、見たのに」
もっと早く気づいてればと呟いた私の肩に、土方さんが掌を置く。
「大方附子(ぶす)でも飲んだんだろう。附子を飲んで助かる術はねぇ、遅かろうが早かろうがこいつぁ死んでた」
「附子ぅっ!?そりゃ、さくらがいなきゃ大事になってたな」
おおこわっと永倉さんが身震いをする。
附子とは、トリカブト。猛毒だ。あのまま吐き出された血を浴びていれば、他の隊士はともかく、無数の切り傷擦り傷を作った私と土方さんは危なかった。
「しかし、唯一の生き残りが死んじまっちゃ、真相は闇の中だな」
「いや、こいつらのうちいずれかは、恐らく医師だ。人相書きを作って、薬種屋を当たれ」
「あの・・・私もなんらかの薬を使われました」
遠慮がちに手を挙げれば、全員から鋭い視線が浴びせられ、「・・・多分」と声が小さくなる。
「屯所に連れ帰って話を聞くか」
「いや、今夜は帰す。明日、出直そう」
いいなと念を押され、私は曖昧に頷いた。
「副長、懐にこんなものが」
男の遺体を改めていた隊士が、土方さんに差し出したのは結び文。
中を改める手元を背伸びして覗き込むと、土方さんは眉を寄せたものの、咎めだてはされなかった。
覗いたところで、すんなり読めはしないのだけど。
「『くらべこし ふりわけ髪も 肩過ぎぬ 君ならずして たれかあぐべき』」
「なんだこりゃ、時世の歌か?」
土方さんが読み上げ、永倉さんが首を捻る。
「伊勢物語だ」
「ほーお」
「幼馴染の男と女が交わした歌のうち、女の方だ」
「確かに、こりゃ女の筆跡(て)だな」
交わされる二人の会話を、私は地面に染み込んでいく男の血を見つめながら、耳の端で聞いていた。
赤から黒へ、色を変えていく血液と同じように、頭の中で疑惑の染みが広がっていく。
「永倉、こいつを駕籠に乗せてやってくれ。俺は急ぎ、屯所に戻る」
「おいおい、一人はよせ。二人ばかり供に連れてきな」
身を翻しかけた土方さんは思い直したように私に向き直り、「明日、迎えをやる」と言った。
肌や髪に触れられることもなく、労わりの言葉もない。それでも、その眼差しだけで十分だった。
いつのまにか中天に登った月が、惨劇の現場を白々と照らし出している。