おなつさんが炊いておいてくれた寒鮒の煮付けを肴に、土方さんと炬燵に入って差し差されつ。
冬の夜は、しんしんと更けてゆく。
炬燵の中の足はもちろん、生姜のきいた煮つけとお酒で、お腹の中もじんわり温かく、火鉢にかけられた鉄瓶が盛んにあげる蒸気を眺めていると、なにもかもがどうでもよくなってくる。
けど、そういうわけにもいかない。
景気づけにお猪口のお酒を煽り、口火を切った。
「土方さん、夜は長いことですし、ここはひとつ」
お話大会をしませんか。
土方さんの眉根がすいと寄る。
けれど、目元は確かに笑みを含んでいる。
またおかしなことを言い出しやがった―――呆れつつも、面白がっている、そんな目だ。
「交互に、物語をするんです。御伽草子みたいなのでもいいし、本当にあった話でもいいし」
「怪談でもいいのか」
「それは、嫌」
即答の却下に、土方さんが声をたてて笑う。
滑り出しは良好。
―――どうか、そのまま笑ってて
願いながら、半分になった土方さんのお猪口にお酒を注ぎ足す。
「私から、話しますね。ある日のこと、木枯らしがお天道さんに言いました。『一つ、力比べをしようじゃないか』」
現代人なら誰でも一度は耳にしたことがある寓話、『北風と太陽』だ。
旅人の着ているマントを脱がせた方が勝ちという勝負をもちかけた北風。
北風は強く強く吹きつけて、マントを引き剥がそうとするが、旅人はマントの前をしっかりとかきあわせて吹き飛ばされるのを防ぎ切る。
「『では、次は私の番だね』。太陽は、慌てることなく、ぽかぽかと照り続けました。その陽気に、町人はすっかり暖まり、自らどてらを脱いだのでした」
おしまい、と結んで、いつのまにか満たされていたお猪口を口に運んだ。
喉がカラカラだ。
頬はカッカッと焼けているのに、指先は冷えてじんじん痺れ、私は両手を炬燵の中へと差し入れた。
そうしておいて、黙っている土方さんを窺う。
「・・・つまらなかったですか」
露骨な教訓話だ。面白いわけがないのはわかっている。
土方さんは答えずに、「次は俺の番だな」と言った。
源さんから聞いたと前置いて、聞かされたのはこんな話だ。
先日、源さん、つまり井上さんは、所用があって壬生寺を訪れた。
新選組が壬生の屯所を離れて一年半余。隊士の中には、いまだ八木邸を実家のごとく慕って軒をくぐる人も多いけれど、井上さんはけじめがつかないと一度も訪れたことはなかった。
そんな井上さんが、そちらへ足を向けてみようと思いたったのは、酷く冷え込んだ日だったからだ。
井上さんのは、半士半農の家の三男で、上洛するまでは、竹刀や木刀よりも鍬を握っていること
の方が多かった。そのせいか、今でも見かけた畑に何が生っているのか、出来具合はどうか、興味を引かれるのだという。
それだから、八木家界隈の畑が霜でやられたのではないかと気になって確かめたかったというわけだ。
「いつまでも百姓気分で、困ったもんだ」
そう言いつつ、土方さんの表情は柔らかかった。
幸い、訪ねた農家の作物に被害はなかったようで。
こんなもので申し訳ないがと、お茶請けとして供された干し人参を口にした、井上さんは驚いた。
―――土方さんは、口数が少ないくせに話がうまい。
ここまでくると、私は自分の思惑も忘れてすっかり話に入り込んでいた。
「どうしてですか?一体なにが?」
「その人参は、えらく甘かったんだとよ」
「へぇっ。干したから、甘みが増したのんですかね」
「いや、干す前から甘かったらしい」
「金時人参だったんでしょうか」
「いや、普通のにんじんだ。けど、秘密があった。そりゃな・・・・・・」
言葉を切って、炬燵に手を突っ込んだまま身を乗り出していた私に額を寄せて、土方さんは囁いた。
「去年の人参だったんだ」
「ええっ?」
去年の人参が、よくもパスパスにもならず残っていたものだ。
それにしたって、そんものをお客に出すだろうか。
京都の人は意地が悪い、そういうオチの話なのかも。
井上さんは見た目中身も朴訥な人だ。
羽振りのいい新選組の幹部でありながら、身なりも質素なままでいる。
そのせいで、それとなく虚仮にされることもあるだろう。
けれど、私の予想はてんで見当外れだった。
驚くほど甘い「去年の人参」。その正体は、収穫し残して、土の中に埋まったまま年を越してしまったものだったのだ。
「去年の秋に収穫し忘れた人参が、雪が溶けたころに耕した畑から現れた。食ってみたら、金時にんじんも裸足で逃げ出すうまさだった。源さんが言うには、野菜ってのは、肥やって水やって、手と銭かけりゃうまくなるもんでもないらしい」
雪の下で冬を越した人参が甘くなったように。
過酷な環境下でこそ、おいしい野菜ができる。確か、現代ではそんな農法があったはず。
農業に限らず、こんな風に、昔の人たちが試行錯誤を重ね、さまざまな経験則から生み出された努力の賜物を、現代人は受け渡されてきたのだ。
―――なるほどなあ、すごいなあ
いたって素直に感銘を受けていた私は、表情を改めた土方さんに「わかるか」と訊かれて、そのままの流れで頷いた。
ええ、ええ、わかりますとも。
「人も同じこった」
ええ、ほんとうに。
更に頷きかけ、上げた顎がそのまま凍る。
―――甘かった。
もとより、「北風と太陽」がそれぞれ誰になぞらえたものなのか、土方さんならすぐに察することはわかっていた。
北風が、土方さん。太陽が、伊東さん。
先日の角屋での席で漏れ聞いた会話の端々から、新選組内で「閥」ができつつあると、強く感じた。
彼本人にそんなつもりはなくとも、対話を重視し、勤皇の志士たちとも融和しようとする伊東さんと、外に向いても内に向いても冷厳な態度を崩さない土方さん。
どうしたって、近寄りがたい土方さんより、伊東さんの周りに輪ができる。
それも、伊東さんが組頭に留まっていた頃なら、まだよかった。
けれど、彼はもう、「参謀」という役についている。
局長の近藤さんが「顔」とするなら、副長の土方さんは「両腕」。伊東さんは―――「頭脳」。
そんな風に人体に喩えてみれば、新選組内のパワーバランスの変化は明確だった。
なにより、あの場にいた永倉さん。
彼の存在が、私を不安にさせた。
組頭の中でも、上席にいる永倉さんまでもが伊東さんの「閥」に入ってしまったら?
そんな思いが、私に見え見えの教訓話を口にさせた。
もとより、黙れ、賢しらにと怒鳴られることも覚悟していて。
だから、聞き流された。私の差し出口に気づかないふりをして、てんで関係のない話をし始めたのだと、そう思っていたのだけれど。
―――甘かった。
重ねて思う。
土方さんが気づかないはずはなかったのだ。
育っていく「伊東閥」の存在、深まる自身の孤立どちらとも。
わかっていても尚、雪でいる。雪の下で寒さに鍛えられた強さこそが、危機にあって隊士たちの命を救う。
「去年も、似たようなことを言った気がするんだがな」
俯いてしまった私の足を、炬燵の中でちょいと突いて。
「俺は伊東を好かねぇが、揉めるつもりもねぇ。呑まれるつもりもねぇがな」
炬燵から引き抜かれた手が、空のお猪口を突き出す。
それは、お終いの合図。
これで、この話はお終いだ。
伊東の話で、湿るのも馬鹿馬鹿しい。
「・・・はい」
内なる不安が拭い去れたわけでは、決してない。
それでも、私は微笑んで頷いた。
火鉢にかかった鉄瓶の蓋が、カカカカカタカタと甲高い音を立てる。同意の拍手か、もしくは警鐘であるかのように。