徒然なるままに~粗野が的斉藤さんという人~ | さらさの「粗野がーる」

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アメーバの携帯ゲーム「艶がーる」の主人公を、28歳・恋愛偏差値20の女性に置き換えた実験的小説を書いています。

あくまでフィクションなので、深く考えずに読んでください

いやー・・粗野がの斉藤一は、イヤなヤツですなあ。

でも、腹が黒いわけではない。

人が言いにくいことを、はっきり言う。

そして、彼の言うことは、往々にして正しい。

正論って、耳に痛いことが多いですよね。



粗野がの斉藤さんの望みは、「土方さんが鬼でいること」です。

他の幹部と逆を行く。

それはなぜか。


斉藤さん、藤堂さん、永倉さん。

粗野がの中ではこの三人が、古高氏の拷問もやらされていました。

バラバラ個性の三人です。

でも、土方さんの中では共通点がある。


斉藤さんは、代々の武士ではありません。

御家人株を買ったお父さんの代からの武家です。

だから、ことさら「武士らしさ」にこだわる。

生き方、所作、言動。彼なりの「武士の美学」を持っている。


藤堂さんは、町場に生まれましたが、津藤堂藩主のご落胤とされる人です。

真偽はともかく、本人はそう信じて育ってきた。

ただ、のちに明らかになるとおり、一度は大きく道を踏みずした人でもあります。

彼は、過去の過ちを悔い、生まれ変わった気持ちで「武士らしく」、清く美しく生きようとしています。


永倉さんも、もともとは浅草の呉服屋の血筋ですが、父親の代には、松前藩の家老を務めていたほどのお家の出です。彼は、武士らしくとか、なんとかそういう理屈は言いませんが、根っこの部分が明るく正しい人柄です。


一方、土方さんはどうか。

蝦夷まで戦いぬいた彼のことを、「ラストサムライ」と呼ぶ人もいます。

でも、私は彼はまったく武士らしくない人だと思うのです。


彼が斉藤さんや藤堂さんのような気質の人なら、蝦夷まで行きはしなかった。

会津で討ち死にしていたはず。

それ以前の、油小路や他の捕り物にしても、土方さんは、常に寡勢に多勢であたります。

非常に合理的で結果主義のにおいがします。


では、隊規の「士道に背きまじきこと」はどうなるのか。


武士というのは、不自由な生き物です。

矜持、対面、立場、家・・・さまざまなものにしばられて生きている。

隊規の「士道~」は、その不自由さを逆手にとって設けられたもののように思います。

つまりは、方便。


事実、問題行動を起こした隊士に対する処断方法は、人それぞれ。

臨機応変で、小説などの創作物で語られるような「絶対」のものではあませんでした。


土方さんにとっては方便でも、武士らしく生きようとする人にとっては、「士道にもとる」と言われれば飲まざるを得ない。

なかなかに狡猾なやり方だと思います。


そんな土方さんが、武士らしい三人に汚れ仕事を回すのは、彼らの「らしさ」が新撰組の任務を遂行するためには邪魔っけだから。

お前たちは武士である前に、新撰組の隊士なのだと突きつけるため。


突きつけられた三人の反応はそれぞれで。

藤堂さんは拒否反応を示した。

永倉さんは、気に入らないながらも仕方がないとある程度受け入れている。

斉藤さんは、条件付で引き受ける、です。


条件とは、なにか。

それが、「土方さんが鬼でありつづけること」。


近藤さんが主、新撰組がお家だとするならば、土方さんの行動は、とってもとっても武士らしいとも言えるのです。

素の自分を殺し、自ら鬼役に徹する土方さんを、斉藤さんは買っている。

それこそが、「士道」だと。・・・皮肉な話ですが。


なので、土方さんが鬼の道=士道を貫くなら、自分もまた自身の生き方を曲げてでも働いてやるという思考。

だから、斉藤さんは、さくらが邪魔なんです。

彼女は土方さんを、一人の青年に戻してしまうから。


他の幹部のように打ち解けず、話すとしてもさらけ出してはくれない彼ですが、以上を念頭に彼の言動をなぞっていくと、誰よりも不器用で、青くて、潔癖な、年相応の青年像が見えてくるのではないでしょうか。


藤堂さんと同い年だもんな、斉藤さんw



本当は、油小路以降こそ、斉藤さんの人間味が露わになるんだけど、書き続けられなかったから・・・。

あ、凹んできたリターンズ。


では、また。


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