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画像は沖縄市中央の「てるりん館」。
撮影者:kanemaru1967 撮影日:2006年1月23日。

今日のテレビ欄を見ていたら、22:00からNHK教育で

ETV特集「沖縄笑いの巨人伝」という番組があるのを発見した。

これは昨年亡くなった照屋林助についての番組である。

画像は先月たまたま歩いていて見つけた「てるりん館」の写真。


照屋林助については、以下「ウィキペディア(Wikipedia)」からそのまま引用する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%A7%E5%B1%8B%E6%9E%97%E5%8A%A9

照屋 林助(てるや りんすけ、1929年4月4日 - 2005年3月10日)は、

音楽家、漫談家。戦後の沖縄県の娯楽・芸能をリードした、沖縄ポップカルチャーの第一人者。

「テルリン」の愛称で親しまれた。息子は「りんけんバンド」のリーダー・照屋林賢で、

ガレッジセールのゴリの大叔父である。

野村流琉球音楽研究家・照屋林山の息子として大阪に生まれる。

1936年、7歳の時に家族とともに父の故郷・沖縄県に移住。

琉球音楽研究家の小那覇舞天(おなは ぶーてん)に師事し、

終戦直後、石川市(現在のうるま市)に設けられた難民収容所で悲しむ人々の間で

「生き残ったことをお祝いしよう」と歌を歌いながら師とともに呼びかける運動を行う。

その後も沖縄の三線を用いた漫談・ボードビルショーを続け、

1957年に前川守康と「ワタブーショー」(「ワタブー」は「大腹」の意)を結成。

パロディーや歌謡を盛り込んだ、可笑しくも含蓄の深い漫談で長年に渡って観客を魅了。

その芸風は後進の沖縄芸能・ミュージックシーンに多大な影響を与えた。

また、テレビ・ラジオ番組になどでも精力的に活動し人気を博す。

一方、父がコザ市(現在の沖縄市)に開業していた楽器店・三味線店を利用して、

エレキ三線、四線、二首三線などを考案した。

1990年には沖縄市で「コザ独立国」の建国を宣言。自身も「終身大統領」を名乗り、

東アジアやアメリカの文化をチャンプルー(「ごちゃ混ぜにする」の意味の方言)した

新たな沖縄芸能・文化の方向性を模索していった。

1991年にはワタブーショーのいでたちで水虫薬のCMに出演し、

全国的にも名を知られるようになった。

1990年代からの沖縄ブームの中で筑紫哲也との共著などもある。

1994年に沖縄市文化功労賞、2000年沖縄県文化功労賞受賞。

2000年頃から糖尿病を患い病気療養中であったが、2005年3月10日に肺炎のため死去。75歳だった。