かねまき接骨院のブログ

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移転のお知らせ

拝啓

 

大暑の候 ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

突然ではございますが平成19年10月1日開院以来数年余にわたりお引立ていただきましてありがとうございました。

かねまき接骨院を諸般の事情により平成28年7月31日(日)をもちまして閉院し移転いたすこととなりました。

皆様の温かいご支援の中での苦渋の選択となりましたが、

何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。長年にわたるご愛顧に心から感謝申し上げますとともに、今後ますますのご健勝をお祈り申し上げ、略儀ながら書面をもちましてご挨拶申し上げます。

敬具

 

かねまき接骨院 院長 印牧 邦夫




昨日は休診日。


朝一で採血。定期的に受けている検査。



検査後。思い立って温泉へ。

前日の仕事中に37℃の微熱が出ていたため今日はゆっくりと


しようと思っていたが思ったより回復が早く軽くジョギングもしようと

現地に向かう。


急遽、サイトで調べて発見した白寿の湯まで。



本庄児玉まで関越でドライブ。

道もガラガラで1時間位で到着。


現地につきランニング開始。


街並みも山だらけで自然と戯れて心地がいい。


それでも、体調が完全ではないのかすぐに息切れ。

前回のランニングとは打って変わって絶不調。

途中でウォ-キングもいれて休み、休み
走る。



一本の大きな川を発見して橋を渡りランニングを続けるも



これが失敗。

走れど走れど

元の道に戻れない。


途中テンションも駄々すべりで後悔するも


引き返すのも尺なのでそろそろと走り、


何とかゴ-ル。


5.8キロを走り終了。



少し休憩をして温泉に。




このお湯が心地よい。


温度は低めだが、肌にまとわりつく。


疲労も回復して帰路に。


ゆったりとドライブ気分で道の駅花園へ

http://www.michinoeki-hanazono.jp/


気まぐれに店内をのぞくと、

パッと眼に入った観葉植物に一目ぼれ。


グスマニア



即購入でルンルン気分で地元に戻る。

高速もスム-ズに運転をして地元近くに着く頃に


まとめて持っていたカ-ド類がないことにきずく。


焦りながら、身の回りを探しても見つからず、地元について

道の駅に電話をすると、保管してくれていた。


ホッとしていたものの、ものが物だけに自分でとりに行くことに。



近々にまた花園まで・・・・・・




週末にドライブが決定した。




まあ、見つかったので何よりです。







【ホームページ】  http://kanemaki.webcrow.jp

【LINE@】     @goe1305b (このIDに毎月診療カレンダ-を載せます。 ぜひご登録をお願い致します)

【メ-ルマガジン】  http://www.mag2.com/m/0001657970.html

【ユ-チュ-ブ】    http://www.youtube.com/watch?v=nGOm4AWbFeA

【フェイスブック】 https://www.facebook.com/Kanemaki.kunio?pnref=lhc

【かねまき接骨院ふじみ野市富士見市近辺で肩こり、腰痛を防ぐランニングダイエット日記】 
                  
             http://blog.livedoor.jp/kanemaki/



【診療時間】
(月・火・木・金)8時30分~12時30分/15時~22時
(土・祝)    8時30分~14時 
(日)      8時30分~14時 事前予約
 
【休診日】水曜日

 〒356-0057
 埼玉県ふじみ野市市沢1-7-12
【TEL】049-256-9855 
 
  院長 印牧 邦夫
 
 かねまき くにお


〇血液型:A
〇星座;5月生まれのおうし座
〇出身:ふじみ野市 ふじみ野市在住
〇家族:兄弟 3人男の子(独身)
〇趣味:フットサル ランニング 家庭菜園
〇好きな食べ物: ラ-メン  柿の種
〇好きな色:白
〇スポ-ツ歴:サッカ- 柔道初段
〇最近はまっていること:ランニング 地域活性化ボランティア 読書


かねまき接骨院 社訓

経営理念

わが院はクライアントのニーズに応え、
こころ、カラダを変化させサービスの
提供を徹底して社会に貢献する。

経営方針
1.顧客志向
2.信用第一
3.アフターケア―

社是
1.あなたの身になってこころとカラダを変化させます。
2.常に創意工夫を心掛けます。
3.熱意を持って職務を遂行します。



ここからは時間のある方だけお読みください!



------------------------------------------------------------------------------------------------------------


私を五体満足に産んでくれた両親に感謝します
あれは、昭和49年5月14日。PM6時頃東京都墨田区内にある病院で、
私、印牧邦夫はこの世に生まれ体重は3160gとわりとがっちりとしていました。
ふじみ野市内にある保育園通園中にわんぱくに育っていた矢先、
右目が斜視になり数ヶ月の入院生活を余儀なくされ、
その後大手術を経験しました、そのときの記憶としては
ベットの隣にはいつも母親が看病をしていてくれていましたが、
夜になると寂しさからか病院食だけでは足りずにコンビニのおにぎりを食べていました。
あまり美味しくなかった気がします、、、
ストレスを食で発散していたような感じだったようです。
小学生時代は周りの子達より、体格がよく悪さばかりしいて先生に怒られていた記憶が。
学業も中の上。よく言えばお山のガキ大将としてすくすくと育ちました。
当時のあだ名は「おにく」 ころころ丸い体格と名前をしたから読まれていたようです。
ふじみ野市福岡中学校在住時サッカーに夢中で活発な少年でした。
当時の先輩、後輩とは今でもフットサルを定期的に楽しんでいます!
中学生時代には近隣の道場で柔道も習っていました。
礼儀作法、大人とのかかわり方等いろいろな体験をさせていただきました。
このころはよく、胸やヒザ、足首に怪我を追い道場の接骨院や近隣の整形外科の先生方にお世話になりました。
当時父は飲食業界で働き近隣の鍼灸院にカラダケア―のため定期的に通院をしていました。
高校生の私はこれから先の進路をどうするか悩んでいると父に相談をしました。
憧れの父の働く姿をみて飲食業界に進もうと相談すると、
私の悩みを聞き父は通院していた鍼灸師の先生を紹介してくれて、私に教えてくれました。
今後世の中は高齢化に進む、その時に世の中の人のためになれるような仕事があるんだ、
「人は一人では生きていけないんだよ。大勢の人たちのお世話になっているんだから、
大人になったら人に喜ばれるいい仕事をしてみないか?」と諭してくれました。
私はその先生から治療をしてもらいすごく感動したと共に父から言われた一言が今も頭に残っています。
世の中の人のためになること
父の言葉を胸にしまい、心に刻み治療家になる決心をしました。
(この頃はまだ、高校生だったのでこの言葉の意味をうっすら表面的にしか解っていませんでした。
当時の父は仕事に子育てに奮闘していましたが数年後、体調を崩し亡くなりました。
もうこの治療業界で働いていた私は
患者さんにありがとうと喜んでもらえたり、
涙を流しながらお礼をいわれたりしていて世の中の人のためになること、
この言葉の本当の意味にきずいたのは父が亡くなった後でした。この言葉を今でも大切にしつつ
私の心の中に宿し、一生懸命に人生を歩んでいます。)
高校卒業後、自宅近くの教習所に通っていて免許習得のため
鴻巣免許センタ-に車で送ってもらっている最中に一時停止無視の車と衝突、横転事故にあいました。
救急車で病院に搬送されて九死に一生を得ました。車が横転した記憶はうっすらと覚えていますが気を失ってしまいました。
今だに乗り物の中で寝られないのはこのためかもしれません。
渋谷にある名門日本鍼灸専門学校、日本柔道整復専門学校に通いつつ、臨床経験をしながら頑張っていたときでした。
(当時昼間は働き、夜間専門学校に3年間づつ計6年間びっしりと勉強し働きながら国家試験に合格)
 1日に数百人の患者さんが来院する都内にある接骨院に通勤中、
赤信号になる際の道路を20~30メートル小走りで走っていた瞬間右膝に痛みが、歩くたびに痛む右膝。
午前の診療が終わった際 、先輩の先生に右膝を診察していただきました。その先生にタナ障害だねと診断されました。
(タナ障害とは 膝の袋がひっかかる状態)なんと私が患者さんになってしまったのです。
何回かの施術でよくなりましたが自分が患者さんになることにより患者さんはいつもこういう
不安な気持ちなんだなーと改めて感じたことを今でも思い出します。先輩とは人として治療家として
仲良くお付き合いさせていただいています。いつもありがとうございます。今現在、皆様のお気持ちに支えられ
 接骨院をふじみ野市市沢で開業し数年間がすぎました。まだまだ人生勉強に追われる日々ですがまずは
20年選手を目指し思考錯誤しています。今までで1番つらかった思いでは2010年の正月過労で
40℃の熱発で3日寝込んだことです。この年は開業後から徐々に患者さんが増えてきて、
当院の最高記録人数を打ち立てた年でした。年末も大忙しで患者さんの治療をしていた記憶があります。
今現在もその頃の患者さんに支えられて毎日一生懸命治療をしています。かねまき接骨院は、
これからもあなたのかねまき接骨院でありたいと願い日々努力します。
現在来院していただいている患者さんや新しく出会える人々のため、
これからもかねまき接骨院は気楽に通える明るく笑いのあるフレンドリーな接骨院を目指します。
末永くご哀願よろしくお願い致します。

かねまき接骨院 印牧 邦夫





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地道にラントレをしています。


昨日は6キロ弱。


キロ7分ペ-ス、前日の夜に雨が降り風も少しあったので

だいぶ楽に走れました。


最初の頃からみると息切れもしずらくなってきてて。

ペ-ス配分も楽になってきました。


途中膝の痛みはでるものの、筋肉痛はそこまで残らず
カラダ的にはまだまだ余裕も出てきました。

そろそろ、距離は少しずつ伸ばしていければと思っています。

また、体重管理をしっかりとして


楽しくラんトレを継続していこうと思います。



当院の花壇にも夏の花を植え替えました。



やはり、綺麗な空間は心が和みます。














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【診療時間】
(月・火・木・金)8時30分~12時30分/15時~22時
(土・祝)    8時30分~14時 
(日)      8時30分~14時 事前予約
 
【休診日】水曜日

 〒356-0057
 埼玉県ふじみ野市市沢1-7-12
【TEL】049-256-9855 
 
  院長 印牧 邦夫
 
 かねまき くにお


〇血液型:A
〇星座;5月生まれのおうし座
〇出身:ふじみ野市 ふじみ野市在住
〇家族:兄弟 3人男の子(独身)
〇趣味:フットサル ランニング 家庭菜園
〇好きな食べ物: ラ-メン  柿の種
〇好きな色:白
〇スポ-ツ歴:サッカ- 柔道初段
〇最近はまっていること:ランニング 地域活性化ボランティア 読書


かねまき接骨院 社訓

経営理念

わが院はクライアントのニーズに応え、
こころ、カラダを変化させサービスの
提供を徹底して社会に貢献する。

経営方針
1.顧客志向
2.信用第一
3.アフターケア―

社是
1.あなたの身になってこころとカラダを変化させます。
2.常に創意工夫を心掛けます。
3.熱意を持って職務を遂行します。



ここからは時間のある方だけお読みください!



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私を五体満足に産んでくれた両親に感謝します
あれは、昭和49年5月14日。PM6時頃東京都墨田区内にある病院で、
私、印牧邦夫はこの世に生まれ体重は3160gとわりとがっちりとしていました。
ふじみ野市内にある保育園通園中にわんぱくに育っていた矢先、
右目が斜視になり数ヶ月の入院生活を余儀なくされ、
その後大手術を経験しました、そのときの記憶としては
ベットの隣にはいつも母親が看病をしていてくれていましたが、
夜になると寂しさからか病院食だけでは足りずにコンビニのおにぎりを食べていました。
あまり美味しくなかった気がします、、、
ストレスを食で発散していたような感じだったようです。
小学生時代は周りの子達より、体格がよく悪さばかりしいて先生に怒られていた記憶が。
学業も中の上。よく言えばお山のガキ大将としてすくすくと育ちました。
当時のあだ名は「おにく」 ころころ丸い体格と名前をしたから読まれていたようです。
ふじみ野市福岡中学校在住時サッカーに夢中で活発な少年でした。
当時の先輩、後輩とは今でもフットサルを定期的に楽しんでいます!
中学生時代には近隣の道場で柔道も習っていました。
礼儀作法、大人とのかかわり方等いろいろな体験をさせていただきました。
このころはよく、胸やヒザ、足首に怪我を追い道場の接骨院や近隣の整形外科の先生方にお世話になりました。
当時父は飲食業界で働き近隣の鍼灸院にカラダケア―のため定期的に通院をしていました。
高校生の私はこれから先の進路をどうするか悩んでいると父に相談をしました。
憧れの父の働く姿をみて飲食業界に進もうと相談すると、
私の悩みを聞き父は通院していた鍼灸師の先生を紹介してくれて、私に教えてくれました。
今後世の中は高齢化に進む、その時に世の中の人のためになれるような仕事があるんだ、
「人は一人では生きていけないんだよ。大勢の人たちのお世話になっているんだから、
大人になったら人に喜ばれるいい仕事をしてみないか?」と諭してくれました。
私はその先生から治療をしてもらいすごく感動したと共に父から言われた一言が今も頭に残っています。
世の中の人のためになること
父の言葉を胸にしまい、心に刻み治療家になる決心をしました。
(この頃はまだ、高校生だったのでこの言葉の意味をうっすら表面的にしか解っていませんでした。
当時の父は仕事に子育てに奮闘していましたが数年後、体調を崩し亡くなりました。
もうこの治療業界で働いていた私は
患者さんにありがとうと喜んでもらえたり、
涙を流しながらお礼をいわれたりしていて世の中の人のためになること、
この言葉の本当の意味にきずいたのは父が亡くなった後でした。この言葉を今でも大切にしつつ
私の心の中に宿し、一生懸命に人生を歩んでいます。)
高校卒業後、自宅近くの教習所に通っていて免許習得のため
鴻巣免許センタ-に車で送ってもらっている最中に一時停止無視の車と衝突、横転事故にあいました。
救急車で病院に搬送されて九死に一生を得ました。車が横転した記憶はうっすらと覚えていますが気を失ってしまいました。
今だに乗り物の中で寝られないのはこのためかもしれません。
渋谷にある名門日本鍼灸専門学校、日本柔道整復専門学校に通いつつ、臨床経験をしながら頑張っていたときでした。
(当時昼間は働き、夜間専門学校に3年間づつ計6年間びっしりと勉強し働きながら国家試験に合格)
 1日に数百人の患者さんが来院する都内にある接骨院に通勤中、
赤信号になる際の道路を20~30メートル小走りで走っていた瞬間右膝に痛みが、歩くたびに痛む右膝。
午前の診療が終わった際 、先輩の先生に右膝を診察していただきました。その先生にタナ障害だねと診断されました。
(タナ障害とは 膝の袋がひっかかる状態)なんと私が患者さんになってしまったのです。
何回かの施術でよくなりましたが自分が患者さんになることにより患者さんはいつもこういう
不安な気持ちなんだなーと改めて感じたことを今でも思い出します。先輩とは人として治療家として
仲良くお付き合いさせていただいています。いつもありがとうございます。今現在、皆様のお気持ちに支えられ
 接骨院をふじみ野市市沢で開業し数年間がすぎました。まだまだ人生勉強に追われる日々ですがまずは
20年選手を目指し思考錯誤しています。今までで1番つらかった思いでは2010年の正月過労で
40℃の熱発で3日寝込んだことです。この年は開業後から徐々に患者さんが増えてきて、
当院の最高記録人数を打ち立てた年でした。年末も大忙しで患者さんの治療をしていた記憶があります。
今現在もその頃の患者さんに支えられて毎日一生懸命治療をしています。かねまき接骨院は、
これからもあなたのかねまき接骨院でありたいと願い日々努力します。
現在来院していただいている患者さんや新しく出会える人々のため、
これからもかねまき接骨院は気楽に通える明るく笑いのあるフレンドリーな接骨院を目指します。
末永くご哀願よろしくお願い致します。

かねまき接骨院 印牧 邦夫





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