会いたくて~別れ~
会いたくて~出発~http://ameblo.jp/kaneko-soratobu/entry-10337610812.html
会いたくて~再会~http://ameblo.jp/kaneko-soratobu/entry-10338153997.html
テレジェニックに別れを告げ、再びハンドルを握りしめた。
見上げれば、上空には厚い雲が広がり、それを眺める僕の心もどこか晴れない。
「さて、行こうか」
そうケンタに声をかけると、彼もまた何処となく寂しげで、また考え事をしているようだった。
「元気そうで良かったね。」
「うん、元気そうだった。」
「次、いつかまた会いに来れるかな?」
「来れるといいね~・・・来たいなぁ」
漂う空気が嫌で、無神経だと思いつつも友人に話しかけながら運転を続ける。
そうこうしているうち、気がつけば彼は隣で寝息を立てていた。
メイプルファームの近辺まで来たところでケンタを起こす。だがしかし、道に疎い僕たちは全く役に立たない。
ただ慣れないカーナビと格闘し、右往左往してしまうだけだった。
苦し紛れに牧場の方にお手数を掛けてしまったのだが、その案内がなければ、多分たどり着けなかったのではないかと今になって思う。
車から下車すると、広い放牧地の中に、馬ではなく野生だと思われる鹿が群れている光景に出会った。
人も鹿もそれが普通と言わんばかりに、のほほんとしているから驚く。
その姿を横目に、牧場の方の案内のもと、馬屋に近づいて行くと、見覚えのある馬が顔を覗かせている。
ただ近くに寄って確認するまで・・・いや、した後もその馬がシュフルールだということが信じられなかった。
テレジェニック同様、少しふっくらした顔。
近づいてくる人間を見据える眼差し。
そして、伸ばした手を受け入れる仕草・・・
厩舎の外へ連れ出した際、その違和感は確信へと変った。
なんだろう・・・
それは人間を背にすることが無くなり、子を宿した母なる存在。
大きくなったお腹を、愛おしそうに優しく撫でるおかあさん。
そんなイメージを、久し振りに会ったシュフルールは纏っていた。
いつもあんなに不機嫌そうだったのに・・・
凛々しく、そして勇猛果敢に障害を飛越する女の子だったのに・・・
幸せそう。
そんな言葉でしか表せない表情を目の当たりにし、声と引き換えに涙が出そうになり、それを飲み込んだ。
やがて旅は終焉を迎えた。
再び「またいつか会いたいね」とハニカミながら北の大地を後にする二人の背中を、夕日だけが優しく見守り、後押しをしていた。
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今回の旅のテーマは「逃げ」だった。
いつかのあの日の様に、がむしゃらに猪突猛進の精神で生きていれば最善だったのかもしれない。
今よりも、もっとよい結果を伴える騎手になっていたかもしれない。
だがしかし、ある時僕は、己の弱さに気が付いてしまった
その脆弱な自分を知らなければ、今回の旅も、元気なかつての相棒と対峙しリフレッシュした己を、ただ明日への力へと変えられたかも知れない。
だが今の僕は、少し客観的に、心のゆとりを持っている生き方にしたからこそ、見えてはいけないものを垣間見て、そして気がつくことが出来た気がする。
皆さんも過去疑問を感じたことがあるだろうか?
自分の生まれてきた理由、そして何をするために生かされているかを。
僕は思春期と呼ばれる時期だっただろう。
少なからずとも、その答えの出ない存在意義に対し、自問自答を繰り返したことがある。
答えが出ないという答えにたどり着き、いや、現在も時たまふと考えるこのテーマ。
そんな問いかけに対する答えも明確にならず、わだかまりを抱えたまま、再び出会ってしまった疑問。
僕は馬が好きで、そして夢の続きを今も見ている。
だが、今やっていることは、果たして自分のやりたいことで、また本当に正しい事なのか。
言葉で表すなら「幸せ」と見えた彼らと対峙し、湧いたそれを払拭する事が出来なかった。
待って下さっていた方には申し訳なく思うが、そんな状態で話の続きを書くことが、僕には到底出来なかった。
少し落ち着いて物事を考えられた今、聞こえの良い言葉で表せばポジティブ・聞こえが悪く言い換えると自分本位の偽善に置き換えて考える。
辛い競走馬時代があったからこそ、今現在をのんびり過ごせる。
命を削ってせめぎ合うからこそ、競馬という舞台の上でファンの方々に伝わる感動がある。
そう美化して自分自身に言い聞かせるしかなかった。
年間6000頭もの競走馬が生まれる現代。
悠々と余生を送れる・・・いや、生きることが出来て寿命を迎えられる馬は一握りだ。
そんな中で、理想と矛盾を抱えながら、これからも僕は生きていく。
今なら馬が走る理由が一つ分かったかも知れない。
彼等には明確な理由がないかもしれないのだとしても・・・
僕が思うに、馬たちは「生きるため」に走っているんだと思う。
そして、どんなに悩みどんなに悲観したとしても、僕も生きるためにこれからも馬に乗って行くのだ。