会いたくて~再会~
「おはよー。」
昨日のテンションが嘘のように、二人は朝のロビーで気だるい挨拶を交わした。
「さて、いくかー!」
無理やり気分を上昇させ車に乗り込む。
これから缶コーヒーを己のガソリンに、目指すはテレジェニックの待つノーザンホースパークまで、片道1時間少々のドライブだ。
久しく会う相棒の顔を想像すると、自然と顔が綻んでくる。
運転しながらニヤケる二十七歳。
傍から見たらきっと、これからデートでもするのか?くらいの気持ち悪さだったと思う。
札幌の町並みを通り抜け、高速道路を走るうち、次第に辺りは自然溢れる光景へと姿を変えていく。
茨城もそれなりに自然が多いと思うのだが、なんというかこちらの方が深い。
森は樹海の様に広がっているし、平野は平野で、広大な大地に家がぽつりぽつりと点在するだけ。
まさに牧場を営むには、うってつけの様に思えた。
挙句の果てには、鹿出没注意なんて看板まで標識になっているから驚く。
高速を降り、幸か不幸か、鹿に出会う事もなく目的地に無事到着した。
のどかな雰囲気、公園と称されるに相応しい優雅な時間の流れる空間を歩んで行くと、引き馬でお客さんを乗せて歩く馬や馬車、乗馬で障害飛越を練習している人々に出くわす。
その光景を目の当たりにしたケンタが、ぽつり「馬に乗りたいなぁ・・・」とつぶやいた。
あぁ、僕たちは本当に「馬乗り」と呼ばれる人間なんだ。
そして、馬乗りがあの背中に跨れないもどかしさを抱えるときの気持ちは、皆一緒なんだ。
「うん。馬の背中はいいよ。離れてしまうと乗りたくなって疼くよね。」
今にもお金を払って、引き馬の列に並んでしまいそうな友人を諭した。
常日頃、意識もせずに過ごしているが、僕たちの周りには何気ない幸せが溢れている。
ご飯を食べ、咀嚼する。
のどが渇き、冷たい飲み物で潤いを取り戻す。
物を見、光を感じることができる。
大地を踏みしめ歩めるし、馬の背中で風を切ることもできる。
そして喜怒哀楽を交え、生を満喫することができる。
人間は贅沢で、自分が知らなければ気がつかないことだらけだ。
そして忘れては繰り返す生き物だ。
窮地に立たされ、初めて自分の思い通りにはいかない嘆きを覚える。
怪我で乗れない、乗りたくても乗る馬がいない。
この時、二人は違いはあれど、同じ気持ちを共有した。
厩舎の事務所にて挨拶を済ませ、立ち並ぶ厩舎の佇まいを眺めながら歩みを進める。
見覚えのある馬名と顔の数々を楽しんでいると、人の気配がする一棟があった。
馬名・テレジェニック・・・
「こんにちはー!」
手入れをしながら元気よく挨拶をしてくれた女の子に、返事をする。
「こんにちは。お仕事の邪魔しちゃって申し訳ないのですが、お馬さん見せて頂いてもよろしいですか?」
笑顔を振りまきながら、快く承諾してくれた彼女に、甘えさせてもらうことにした。
「おー、少しふっくらしたかな?相変わらずいい顔してるね。」
「覚えてるかー?毎日餌あげてたご主人様だぞー?」
自分に問いかける二人を、本人はまったく把握していなさそうだから、笑える。
滑稽なやりとりを繰り広げながら、ふと脚元を見つめた。
「結構ボコボコになっちゃたな。前は綺麗な脚してたけど。」
「うん。脚はすっきりしてて綺麗だった。球節は浮腫みやすかったけどね。」
でも僕たちは知っていた。
この脚は一生懸命走ってきた勲章であり、今でも大事に、そしてきちっと乗ってくれている証であることを。
「あっ、申し遅れました。僕はレースに騎乗させて頂いていた騎手の金子光希です。こちらは当時担当してくれていた厩務員の川口健太。」
「競走馬の頃はなかなか手を焼かせてくれたのですけど、今はどうですか?いくらか落ち着きました?」
僕たちの問いかけに、彼女は笑顔をほころばせながら答えてくれた。
「今でも少し臆病なとこがあって、普段騎乗しているのも、ある程度乗れる技術を持つ者が乗っています。でも、乗らない子からも、テレちゃんなんて呼ばれて可愛がられているんですよ。」
「外、歩かせてみます?」
是非!と答える二人に再び笑いかけると、彼女は外へ出すための曳き手を一本貸してくれた。
僕に曳かれながら、かつての相棒は大人しくのんびりと後ろを歩む。
その姿を見ていたケンタが笑った。
「以前じゃ考えられないな。こんなことしてたら、どっかに吹っ飛んで行ってたよ」
本当に、見違えるほど大人しくなった。
競走馬時代で引退間近には、馬房の前などでは愛嬌が出てきていたテレジェニックだったが、一歩外へ出るとピリピリした一面を持ち、また危険と凛々しさを兼ね備えた馬だった。
しばし彼が草を食む音だけが聞こえる、静寂の一時が流れた。
様々な思いが込み上げてくるが、どうにも声には出せない。
どれくらいそうしていただろう。
「さて、あまり邪魔しては悪いし、このままじゃ一日中こうして見入っちまう。帰りはケンタ、任せた。」
曳き手を渡すと、添い慣れた二人は部屋へと戻って行った。
「ありがとうございました。」
お礼を述べ、僕とケンタはその場を後にする。
二人は車に乗り込み、心地よい懐かしさと少々の寂しさを抱えながら、次の目的地であるシュフルールの待つメイプルファームを目指した。