あなたが私にくれたもの・・・父
皆さん、こんにちは。
文中の「デズニーランド」って何処ですか? 惜しいところを一人ツッコミ、寮長です。
これじゃあ、「チャンピオン」を「チャンピョン」書いてた先輩を笑えないなぁ・・・
と、反省してます。
さて、先週に続きまして、今週も平地のレースに騎乗予定です。
障害を飛越する事が無いぶん、気持ち的に楽ですが、結果を出したいことはどちらも一緒。
頑張ってきますー!
いつも長々と申し訳ない限りですが、お時間にゆとりがあるときにでも読んでみてください。
それは、広いオデコ…
父の背中…
そして、寂しい気持ち…
拝啓
父へ…
お元気ですか?
そちらの、お酒は美味しいですか?
飲み過ぎちゃダメですよ…もういい年なんだから!
あのね…♪
最近、あなたに似てきたと言われました(笑)
自前のオデコ・色素の薄い目・少し出てきたエラ…
失礼だけど、オデコとエラはいらなかったっすわ!
オデコは寒くて風邪をひく。
エラは、呼吸法が変わってしまいそうで怖い…
んな訳ないっつ~の!あははは…
少し茶色の目は、父さんとねーちゃん程薄くはないが、たまに気付いてもらえると、ちょっと嬉しい…
最後に会ってから、もうすぐ一年ですね。
また寂しい思いをさせちゃったかな…?ごめんよ。
来週、会いに行きます。
敬具
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
『光希・みつき』
この名前は叔父が考えてくれたもので、父の「光男」からついたものだ。
名前負けしてる感が否めないのだが、実際のとこ結構気に入っている。
『素敵な名前だね♪今度産まれるウチの子に一文字もらっていいかな?』
なんて言われた時には、嬉しくて、昇天しそうになった事がある。
もう一つ暴露するとしよう。
オレもオヤジも、Mなのだ。
MはMでも、ドMではない。
ソフトなMだ(オデコが)
名前もオデコもMなのだ。
事実、光る男で一番光っていたのはデコだった…(オヤジすまん)
そんな父だが、祖母に言わせると、
『お母さんとは、あんなんなっちゃったけど…光男さんは優しくて、本当思いやりのある人だったのよ。仕事が上手くいってれば良かったのにね~…』
と、今でも言っている。
俺自身、優しい父が大好きだった。
そんなに口数が多いほうではなかったが、好んで飲んでいた「ホワイトホース」というウイスキーを飲んで、饒舌になった父から聞く話しは楽しかったな…
飲み過ぎて、「お父さんクサイ~!」と俺が嫌がると、『ん~…そーかー?いい匂いだろぉ』なんて言いながら、ヒゲ面の顔で頬擦りしてくるような父だった。
ある時、真夏に麦茶がきれていて、俺は喉がカラカラだった…
コップの底にちょこっと残った茶色の液体が残っていたので飲んでみると、オヤジの好きなホワイトホースの原液だった。
俺は、暑さと不味さで火を吹いた…
いや実際には、ロックのウイスキーを吹き出した。
はたから見たら、何かのコントにしか見えなかったと思われる。
酒の飲めるようになった現在でも、いまいちロックのウイスキーは得意でないな…
また父は、釣りが大好きだった。
ハゼ釣り、磯釣り…
伊豆にも男二人で釣り旅行したな…
潮干狩りにも連れて行ってくれた。
父は海そのものが好きだったのだろう…
潮風に吹かれ、日焼けした肌とサングラスをかけた姿がなんとも男らしかったように思う。
少しずつ、失っていく父との思い出が寂しくも感じるが、その分、俺の中で美化されていく…
正直に言って、俺は中卒だ。 学は全くない。
こんな息子をもった父は、とても優秀だったらしい。
青山大学を卒業し、上手く行けば出世街道まっしぐらだったそうだ。
でも、彼は自分の夢を追いかけた。
また父も、大学時代、馬術をかじっていたらしい。
俺自身も、馬に乗っていたし、この仕事をするのが夢だった。
妙な共通点があるものだ。やはり血は争えないな…
しかし、父の夢は思ったようにいかなかった。
俺自身、食うに困らないとしても、大きなレースは勝っていない…
はっきり言うと、燻っている。
夢と現実はたしかに違う…
そんなに甘いものではない。
そんな所は似たくなかった。
オヤジすまん…
でも俺は、前に進まなくては…
あとは、前作で書いた通りだ。
次第に悪化していく家庭環境。
まだ、今でも目に焼き付いて離れない光景がある…
ある夜、いつも通り両親は喧嘩をしていた。
「いつもの事か…」と諦めてはいたが、この日はちょっと違った…
父が…
優しかった父が…
母を殴った…
母も殴り返した…
二人して真っ赤な顔をしていた。
怖かった…
怖かったが、それ以上に血の気が引いた…
姉貴と二人で、泣きながら
『お父さん!お母さん!もうやめてよ!!』
『お願いだから、もうやめて!!』
必死に止めた。
そして、二人でわんわん泣いた…
それが、
父が母に…
母が父に…
最初で最後に手をあげた瞬間だ。
その時は、
「なんで、こんなんになっちゃったんだろ…?」と思った。
現在書いていて、
「もし父が、夢ではなく違う道を歩んでいたら…」と思った。
あーすれば、こーすれば、どーすれば…
愚問だ。
終わってしまった物事に
「~たら・~れば」
は無い。
それも一つの出来事であり、事実。
人生の軌跡なのだ。
ましては、勝つか負けるかしかない勝負の世界。
その世界に生きていて、考えてしまった自分自身が恥ずかしくなってきた…
話しを戻そう。
ついに離婚をし、父と離ればなれになった。
たまに連絡をとったり、父の家に遊びにも行った。
別れてからも、俺にとっては父であり、親子には変わらなかった。
『競馬学校に受かったよ!』
そう告げると、顔をクシャクシャにして喜ぶ父がいた。
まるで自分の事のように…
そんな父が倒れた。
命には問題なさそうだったが、酷く痩せた。
内臓関係を悪くしたので、大好きだった酒は今までのようには飲めない。
辛そうだったが、俺が見舞いに行った時は、優しい笑顔で迎えてくれていた。
その後、無事に退院し日常生活に戻っていた父に、競馬学校の制服を着て挨拶をしに行った。
「父さん、行ってくるよ…」
『そうか…もうそんな時期か。制服似合っているじゃないか』
「ありがとう!でも、やっぱ坊主は嫌だなぁ…」
『はははは!まぁ頑張ってこい!』
そう言って見送ってくれた父の笑顔が目に浮かぶ…
でも、もう二度と見る事はできない…
学校に入学した後も、たまに連絡をとっていたが、規則正しく、また忙しい生活におわれた。
次第に連絡する余裕が減っていった。
それでもたまに連絡すると、
『おぉ!元気にしてるか!?最近どうだ?』
「どうって…いつも変わらないよ。毎日同じ生活!嫌気さすわ…」
そうか…と言いつつ、どこかテンションの高い父の声に、自然と笑みがこぼれた。
厩舎実習に行く事を告げると、
『すごいじゃないか!夢はすぐそこだな!頑張れよ!』
「まだまだだよ…(苦笑)」
そんな会話もした。
三年生になって、二度目の厩舎実習が始まった。
毎日毎日、競走馬の調教に明け暮れていた。
「そういえば、父さん元気かな…」
「最後に会ったのはいつだったかな…?」
連絡も3ヶ月ぐらいとっていなかった。
「そろそろ電話してあげなきゃな~…」
そう思った矢先の事だった…
9月中旬のうだるような暑さの中、朝の調教が終わり厩舎に帰ると、調教師の我が師匠に、話しがあると呼ばれた。
『光希…』
「はい。先生。どうしました??」
『オヤジさんが、亡くなった…』
声にならなかった。
何か話そうとはしたが、声が出なかった…
ただ…ただ…
涙だけが溢れてきた…
『光希…しっかりしろ!後は、俺が学校と寮に伝えておいてやるから』
コクっと頷くと、先生から渡された香典を持って出ていった。
涙で前がよく見えない…
何度も何度も拭ったが、とめどなく溢れてきてどうにもならない…。
制服に着替え、土浦行きのバスに乗ると「ドサッ」と力なく座った。
整理のつかない頭のなかで
「父さんが死んだ…父さんが死んだ……父さんが死んだ…父さんが…」
何度も、何度も同じ言葉が駆け巡る…
「父さんが死んだ…」
真っ白になった…
そこから、どうやって祖母の家に帰ったかよく覚えていない。
記憶にあるのは、家に着いて、姉貴に会った瞬間、姉が真っ赤に腫らした目から更に大粒の涙を流した事。
母も、祖母も目を潤ませていた事ぐらいだ。
家に着いた安堵感からか、ただのもらい泣きなのかは分からなかったが、俺自身も涙が止まらなかった…
次の日のお葬式
昔は大きく見えた父の身体が、棺に入って横たわっていた。
いや、正確に言うと仰向けだったのか、横向きだったのか分からない…
顔も身体も分からない…
亡骸には、白い布が掛けてあったから。
ただ、そこには懐かしい父の匂いではなく、異臭が立ちこめていた…
「お願いです…父に会わせて下さい」
そう葬祭場の方に告げると
『お気持ちは察しますが、お止めになったほうが…』
と一言
「息子として、けじめをつけておきたいんです…お願いします」
『ですよね…お気持ちは痛いほど分かります。でも、普段からご遺体を見馴れている私達であっても、お父様の場合、辛いのです…』
『息子さんには酷(こく)すぎると思いますし、そんな姿をお父様は見られたいのでしょうか…』
繰り返し繰り返しお願いしたが、最後まで葬祭場の方は、首を縦には振ってくれなかった。
最後のお別れに愛用していた釣り竿を添えて、花でぎっしり埋まった白い布の上にビールをかけてあげた。
それぞれが、
『これで好きなだけお酒が飲めるよ…』
『もう寂しい思いをしなくてすむんだよ…』
『ゆっくり休んでね…』
『今まで、ありがとう…』
涙ながらにお別れをつげた。
式が滞りなく終わり、親戚にある人を紹介された。
『こちら、お父さんの古くからの友人で、最初に亡くなっているのを、見つけてくれた方よ…』
俺は軽い自己紹介をし、何度も何度もお礼を言った。
『しばらく会っていなかったんだけどね…ふと、どうしているか気になったんだ。そしたら、新聞受けが一杯になっててさ…電気もついているから、これはおかしいなと思ったんだ』
話しによると、父は缶ビールを二本ほど飲み、風呂に入ろうとして倒れたらしい。
心筋梗塞だった…
それから、何週間も誰にも見つけてもらえずに横たわっていたのだ。
親戚も、誰かに助けを呼んでいたのだろうと言っていた。
改めてお礼を言うと、一人になって涙が涸れるまでひたすら泣いた…
明くる日、父が最後まで住んでいた家。
小学校六年生まで過ごした家を片付けに行った。
昔より、小さく感じる玄関…
屋根も下駄箱もトイレも風呂も…
こんなに狭かったっけな…
懐かしさを噛み締めた。
でも、そこには、昔過ごした懐かしいキンモクセイの香りはもう無かった…
『これでも、大分匂いはとれたのよ…』
そう親戚のおばさんが言って父の事を話してくれた。
俺が学校に入ったのを誰よりも、喜んでいた事…
競馬の雑誌を買い漁り、今か今かとデビューの日を待っていた事…
家に遊びにきては、一本だけビールをあおり、テレビに向かって話しかけている後ろ姿が、とても寂しそうだった事…
丁度、倒れた頃は忙しくて目を掛ける余裕が無かった事…
話しを聞いていて、また涙した。
楽しみにしていた息子の晴れ姿を見る事もなく他界した父…
寂しい事を口に出来なかった不器用な父…
誰にも見つけてもらえず、一人寂しく死んでいった父…
「ちゃんと連絡していれば…。父さん寂しかっただろうね…ごめんね」
自分を責めた…
父をそんな目に合わせた自分が憎かった…
吐き気がした…
この自責の念は一生消える事はないだろう。
それと共に、寂しく死んでいった気持ちを察してから、俺の心はどこか、ぽっかり穴が空いたままだ…
ふと気が付くと、寂しい自分がいる。
この空虚は、誰にも埋められないかもしれない…
今年も、暑い夏がきた。
例年通り、父さんに会いに行く。
そして、缶ビールを開けて
『乾杯!』
「オヤジ喉乾いたろ?墓石にかけてあげるな!」
飲みすぎちゃマズいから、いつもビールは半分こだ。
そして、横浜・本牧の爽やかな風に思いを乗せてこう呟くのだ…
『息子は今日も元気です!』
※あとがき
いやぁ、長くなっちゃってごめんなさい!
書いてる途中で、泣けてきちゃって、えらい時間がかかりました(笑)
本当、最後まで読んで下さった方々には心からお礼申し上げると共に、少しでも、父という存在がいた事を知ってていただけると幸いです。
きっと、父も喜ぶと思います。
では、これにて!
晩年六十歳
亡き父に捧ぐ
文中の「デズニーランド」って何処ですか? 惜しいところを一人ツッコミ、寮長です。
これじゃあ、「チャンピオン」を「チャンピョン」書いてた先輩を笑えないなぁ・・・
と、反省してます。
さて、先週に続きまして、今週も平地のレースに騎乗予定です。
障害を飛越する事が無いぶん、気持ち的に楽ですが、結果を出したいことはどちらも一緒。
頑張ってきますー!
いつも長々と申し訳ない限りですが、お時間にゆとりがあるときにでも読んでみてください。
それは、広いオデコ…
父の背中…
そして、寂しい気持ち…
拝啓
父へ…
お元気ですか?
そちらの、お酒は美味しいですか?
飲み過ぎちゃダメですよ…もういい年なんだから!
あのね…♪
最近、あなたに似てきたと言われました(笑)
自前のオデコ・色素の薄い目・少し出てきたエラ…
失礼だけど、オデコとエラはいらなかったっすわ!
オデコは寒くて風邪をひく。
エラは、呼吸法が変わってしまいそうで怖い…
んな訳ないっつ~の!あははは…
少し茶色の目は、父さんとねーちゃん程薄くはないが、たまに気付いてもらえると、ちょっと嬉しい…
最後に会ってから、もうすぐ一年ですね。
また寂しい思いをさせちゃったかな…?ごめんよ。
来週、会いに行きます。
敬具
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
『光希・みつき』
この名前は叔父が考えてくれたもので、父の「光男」からついたものだ。
名前負けしてる感が否めないのだが、実際のとこ結構気に入っている。
『素敵な名前だね♪今度産まれるウチの子に一文字もらっていいかな?』
なんて言われた時には、嬉しくて、昇天しそうになった事がある。
もう一つ暴露するとしよう。
オレもオヤジも、Mなのだ。
MはMでも、ドMではない。
ソフトなMだ(オデコが)
名前もオデコもMなのだ。
事実、光る男で一番光っていたのはデコだった…(オヤジすまん)
そんな父だが、祖母に言わせると、
『お母さんとは、あんなんなっちゃったけど…光男さんは優しくて、本当思いやりのある人だったのよ。仕事が上手くいってれば良かったのにね~…』
と、今でも言っている。
俺自身、優しい父が大好きだった。
そんなに口数が多いほうではなかったが、好んで飲んでいた「ホワイトホース」というウイスキーを飲んで、饒舌になった父から聞く話しは楽しかったな…
飲み過ぎて、「お父さんクサイ~!」と俺が嫌がると、『ん~…そーかー?いい匂いだろぉ』なんて言いながら、ヒゲ面の顔で頬擦りしてくるような父だった。
ある時、真夏に麦茶がきれていて、俺は喉がカラカラだった…
コップの底にちょこっと残った茶色の液体が残っていたので飲んでみると、オヤジの好きなホワイトホースの原液だった。
俺は、暑さと不味さで火を吹いた…
いや実際には、ロックのウイスキーを吹き出した。
はたから見たら、何かのコントにしか見えなかったと思われる。
酒の飲めるようになった現在でも、いまいちロックのウイスキーは得意でないな…
また父は、釣りが大好きだった。
ハゼ釣り、磯釣り…
伊豆にも男二人で釣り旅行したな…
潮干狩りにも連れて行ってくれた。
父は海そのものが好きだったのだろう…
潮風に吹かれ、日焼けした肌とサングラスをかけた姿がなんとも男らしかったように思う。
少しずつ、失っていく父との思い出が寂しくも感じるが、その分、俺の中で美化されていく…
正直に言って、俺は中卒だ。 学は全くない。
こんな息子をもった父は、とても優秀だったらしい。
青山大学を卒業し、上手く行けば出世街道まっしぐらだったそうだ。
でも、彼は自分の夢を追いかけた。
また父も、大学時代、馬術をかじっていたらしい。
俺自身も、馬に乗っていたし、この仕事をするのが夢だった。
妙な共通点があるものだ。やはり血は争えないな…
しかし、父の夢は思ったようにいかなかった。
俺自身、食うに困らないとしても、大きなレースは勝っていない…
はっきり言うと、燻っている。
夢と現実はたしかに違う…
そんなに甘いものではない。
そんな所は似たくなかった。
オヤジすまん…
でも俺は、前に進まなくては…
あとは、前作で書いた通りだ。
次第に悪化していく家庭環境。
まだ、今でも目に焼き付いて離れない光景がある…
ある夜、いつも通り両親は喧嘩をしていた。
「いつもの事か…」と諦めてはいたが、この日はちょっと違った…
父が…
優しかった父が…
母を殴った…
母も殴り返した…
二人して真っ赤な顔をしていた。
怖かった…
怖かったが、それ以上に血の気が引いた…
姉貴と二人で、泣きながら
『お父さん!お母さん!もうやめてよ!!』
『お願いだから、もうやめて!!』
必死に止めた。
そして、二人でわんわん泣いた…
それが、
父が母に…
母が父に…
最初で最後に手をあげた瞬間だ。
その時は、
「なんで、こんなんになっちゃったんだろ…?」と思った。
現在書いていて、
「もし父が、夢ではなく違う道を歩んでいたら…」と思った。
あーすれば、こーすれば、どーすれば…
愚問だ。
終わってしまった物事に
「~たら・~れば」
は無い。
それも一つの出来事であり、事実。
人生の軌跡なのだ。
ましては、勝つか負けるかしかない勝負の世界。
その世界に生きていて、考えてしまった自分自身が恥ずかしくなってきた…
話しを戻そう。
ついに離婚をし、父と離ればなれになった。
たまに連絡をとったり、父の家に遊びにも行った。
別れてからも、俺にとっては父であり、親子には変わらなかった。
『競馬学校に受かったよ!』
そう告げると、顔をクシャクシャにして喜ぶ父がいた。
まるで自分の事のように…
そんな父が倒れた。
命には問題なさそうだったが、酷く痩せた。
内臓関係を悪くしたので、大好きだった酒は今までのようには飲めない。
辛そうだったが、俺が見舞いに行った時は、優しい笑顔で迎えてくれていた。
その後、無事に退院し日常生活に戻っていた父に、競馬学校の制服を着て挨拶をしに行った。
「父さん、行ってくるよ…」
『そうか…もうそんな時期か。制服似合っているじゃないか』
「ありがとう!でも、やっぱ坊主は嫌だなぁ…」
『はははは!まぁ頑張ってこい!』
そう言って見送ってくれた父の笑顔が目に浮かぶ…
でも、もう二度と見る事はできない…
学校に入学した後も、たまに連絡をとっていたが、規則正しく、また忙しい生活におわれた。
次第に連絡する余裕が減っていった。
それでもたまに連絡すると、
『おぉ!元気にしてるか!?最近どうだ?』
「どうって…いつも変わらないよ。毎日同じ生活!嫌気さすわ…」
そうか…と言いつつ、どこかテンションの高い父の声に、自然と笑みがこぼれた。
厩舎実習に行く事を告げると、
『すごいじゃないか!夢はすぐそこだな!頑張れよ!』
「まだまだだよ…(苦笑)」
そんな会話もした。
三年生になって、二度目の厩舎実習が始まった。
毎日毎日、競走馬の調教に明け暮れていた。
「そういえば、父さん元気かな…」
「最後に会ったのはいつだったかな…?」
連絡も3ヶ月ぐらいとっていなかった。
「そろそろ電話してあげなきゃな~…」
そう思った矢先の事だった…
9月中旬のうだるような暑さの中、朝の調教が終わり厩舎に帰ると、調教師の我が師匠に、話しがあると呼ばれた。
『光希…』
「はい。先生。どうしました??」
『オヤジさんが、亡くなった…』
声にならなかった。
何か話そうとはしたが、声が出なかった…
ただ…ただ…
涙だけが溢れてきた…
『光希…しっかりしろ!後は、俺が学校と寮に伝えておいてやるから』
コクっと頷くと、先生から渡された香典を持って出ていった。
涙で前がよく見えない…
何度も何度も拭ったが、とめどなく溢れてきてどうにもならない…。
制服に着替え、土浦行きのバスに乗ると「ドサッ」と力なく座った。
整理のつかない頭のなかで
「父さんが死んだ…父さんが死んだ……父さんが死んだ…父さんが…」
何度も、何度も同じ言葉が駆け巡る…
「父さんが死んだ…」
真っ白になった…
そこから、どうやって祖母の家に帰ったかよく覚えていない。
記憶にあるのは、家に着いて、姉貴に会った瞬間、姉が真っ赤に腫らした目から更に大粒の涙を流した事。
母も、祖母も目を潤ませていた事ぐらいだ。
家に着いた安堵感からか、ただのもらい泣きなのかは分からなかったが、俺自身も涙が止まらなかった…
次の日のお葬式
昔は大きく見えた父の身体が、棺に入って横たわっていた。
いや、正確に言うと仰向けだったのか、横向きだったのか分からない…
顔も身体も分からない…
亡骸には、白い布が掛けてあったから。
ただ、そこには懐かしい父の匂いではなく、異臭が立ちこめていた…
「お願いです…父に会わせて下さい」
そう葬祭場の方に告げると
『お気持ちは察しますが、お止めになったほうが…』
と一言
「息子として、けじめをつけておきたいんです…お願いします」
『ですよね…お気持ちは痛いほど分かります。でも、普段からご遺体を見馴れている私達であっても、お父様の場合、辛いのです…』
『息子さんには酷(こく)すぎると思いますし、そんな姿をお父様は見られたいのでしょうか…』
繰り返し繰り返しお願いしたが、最後まで葬祭場の方は、首を縦には振ってくれなかった。
最後のお別れに愛用していた釣り竿を添えて、花でぎっしり埋まった白い布の上にビールをかけてあげた。
それぞれが、
『これで好きなだけお酒が飲めるよ…』
『もう寂しい思いをしなくてすむんだよ…』
『ゆっくり休んでね…』
『今まで、ありがとう…』
涙ながらにお別れをつげた。
式が滞りなく終わり、親戚にある人を紹介された。
『こちら、お父さんの古くからの友人で、最初に亡くなっているのを、見つけてくれた方よ…』
俺は軽い自己紹介をし、何度も何度もお礼を言った。
『しばらく会っていなかったんだけどね…ふと、どうしているか気になったんだ。そしたら、新聞受けが一杯になっててさ…電気もついているから、これはおかしいなと思ったんだ』
話しによると、父は缶ビールを二本ほど飲み、風呂に入ろうとして倒れたらしい。
心筋梗塞だった…
それから、何週間も誰にも見つけてもらえずに横たわっていたのだ。
親戚も、誰かに助けを呼んでいたのだろうと言っていた。
改めてお礼を言うと、一人になって涙が涸れるまでひたすら泣いた…
明くる日、父が最後まで住んでいた家。
小学校六年生まで過ごした家を片付けに行った。
昔より、小さく感じる玄関…
屋根も下駄箱もトイレも風呂も…
こんなに狭かったっけな…
懐かしさを噛み締めた。
でも、そこには、昔過ごした懐かしいキンモクセイの香りはもう無かった…
『これでも、大分匂いはとれたのよ…』
そう親戚のおばさんが言って父の事を話してくれた。
俺が学校に入ったのを誰よりも、喜んでいた事…
競馬の雑誌を買い漁り、今か今かとデビューの日を待っていた事…
家に遊びにきては、一本だけビールをあおり、テレビに向かって話しかけている後ろ姿が、とても寂しそうだった事…
丁度、倒れた頃は忙しくて目を掛ける余裕が無かった事…
話しを聞いていて、また涙した。
楽しみにしていた息子の晴れ姿を見る事もなく他界した父…
寂しい事を口に出来なかった不器用な父…
誰にも見つけてもらえず、一人寂しく死んでいった父…
「ちゃんと連絡していれば…。父さん寂しかっただろうね…ごめんね」
自分を責めた…
父をそんな目に合わせた自分が憎かった…
吐き気がした…
この自責の念は一生消える事はないだろう。
それと共に、寂しく死んでいった気持ちを察してから、俺の心はどこか、ぽっかり穴が空いたままだ…
ふと気が付くと、寂しい自分がいる。
この空虚は、誰にも埋められないかもしれない…
今年も、暑い夏がきた。
例年通り、父さんに会いに行く。
そして、缶ビールを開けて
『乾杯!』
「オヤジ喉乾いたろ?墓石にかけてあげるな!」
飲みすぎちゃマズいから、いつもビールは半分こだ。
そして、横浜・本牧の爽やかな風に思いを乗せてこう呟くのだ…
『息子は今日も元気です!』
※あとがき
いやぁ、長くなっちゃってごめんなさい!
書いてる途中で、泣けてきちゃって、えらい時間がかかりました(笑)
本当、最後まで読んで下さった方々には心からお礼申し上げると共に、少しでも、父という存在がいた事を知ってていただけると幸いです。
きっと、父も喜ぶと思います。
では、これにて!
晩年六十歳
亡き父に捧ぐ