自分には、なにができるのか | 金子光希オフィシャルブログ「そらとぶおにいちゃん」Powered by Ameba

自分には、なにができるのか

皆さん、こんにちは。
四つん這いは、大袈裟でした。寮長です。

正確には、誠心誠意で体重計に向かい、真摯に正座してグラフを覗いたのですが・・・


体重計は、おまけしてくれる訳もなく、非情なるままに数値を示すだけでした。

あとは、皆さんのご想像の通り再びサウナへとレッツゴーな訳ですね。
(救心は、たぶんオシッコ検査には引っ掛からないと思います。)


そんな感じで、ひたすらどんまい街道を突っ走ろうかと思っていた寮長だったのですが・・・




今日は、あまり楽しくないお話になりそうです。
ホント、すみません。
先に謝っておきます。




とことんアホさ加減を露呈して、こんな騎手(勿論、稀な騎手兼人種です。)もいるということを突き進もうと思っていた矢先に、こんなお話しを拝見しました。

「窮地に立たされている障害競走(オーストラリア)」
をご一読いただければと思います。
以下、ページURL
http://www.jair.jrao.ne.jp/japan/newsprot/2008/31/03.html

(携帯からの方はごめんなさい。)
(また、引用させて頂いた、Nicholas Godfrey氏と関係者の方々に心からお礼申し上げます。)



これを読んで、人事ではないと感じたことが一つ。

また、オーストラリアから参戦した障害馬と言えば中山グランドジャンプを3連覇したカラジ号が記憶に新しい。


僕は、テレジェニックに騎乗した2006年のペガサスジャンプステークスで一度、稀代の名馬カラジを破っているのだが、その時の鞍上ブレット・スコット騎手が「congratulation!!」
と馬上で声を掛けてくれた事が、今も心に残っている。

そして、今年惜しくも屈腱炎(脚の病気。競走馬にとって競走能力に関わる重い病)を発症し参戦できなかったものの、関係者の方と忘れられないエピソードがあった。


2008年3月28日

ペガサスジャンプS前日。

シトシト雨の降る憂鬱な天気の中、車で中山競馬場の調整ルームへと向かった。


一歩外へ足を踏み出し天を仰ぐと、そこから降り注ぐ冷たい雨が身を穿ち、凍えた空気が肌を締め付けた。


ふと視線を戻すと、目的地の目の前で雨宿りする大柄な若い男が眼に留まる。

端整な顔立ちと、透き通った青い瞳から明日競うライバルの関係者だとすぐに把握した。


灰色に澱む空を見上げた彼の口内から、フッと白い溜め息がこぼれる。

身体は既に湿っているかのようにも見受けられるが、僕はおもむろに車に置いてあったビニール傘を手に取ると、真っ直ぐ異国の仲間の元へと歩み寄った。

「Hello...」

英語力のない僕はいかにも自身なさげに声をかける。

『Hi !!』

パッと見、凍えているかのような様をした男は、僕の予想とは裏腹に、めっちゃ元気に声を返してきた。

傍からから見たらきっと、大きな外国人に絡まれる可哀相なちっこいお兄ちゃんにしか見えなかったことだろう。


手に取ったビニール傘を差し出す。
「present for you...」

そのときの僕の顔は、
はにかむ・・・と言うより引きつっていたといったほうが的確だったと思うが、彼は無邪気な笑顔を振りまき贈り物を受け取ってくれた。

『Thank you!!』


そこから、お前は騎手なのか? 障害も乗ってるのか? 名前は? なんて、いろいろ質問されたと思うが、ほとんどと言ってもいいくらい英語の話せない自分は、正確に記憶していない。


話しも一段落し、彼は一言『bye!!』と言うと、僕のあげた傘を開き自転車に跨った。

鼻歌を歌いながら走り去る姿が、とても嬉しそうに見受けられた。

が、その巨体を覆うにはあまりにも貧相すぎて身体のほとんどが露出してしまう。


「ありゃ、意味ねーな・・・」


クックックと小さく肩を震わせ、滑稽な後姿を見送ると、僕は足取り軽やかにその場を後にした。


恒例のサウナに入った後、部屋でゴロゴロしていると、下の事務所からかかってきた内線の呼び出し音がやかましく部屋に鳴り響いた。


「はい。金子です。」

『今ね、下にカラジの関係者の方がお礼を言いたいって来てるから降りてきて。』

「へ・・・?あ、はい。今行きます。」


そんな、わざわざお礼を言いに来られるような覚えはないが・・・
あ、さっきの彼はカラジの関係者だったのか・・・。

一人呟きながら階段を降りきると、広がる光景に眼を丸くした。

そんなに広くはない調整ルームの玄関に、大柄な男性、女性が4~5人たむろしている。


これは、ただのお礼じゃなくて、違う意味でのお礼参りだったらどうしよう・・・
俺、なんかやっちまったっけか?

鳥肌が立った。


脅えつつ、その場に歩み寄る。
と、いきなり握手を求められ、両手でブンブン僕の腕を振り回しはじめた。

腕もげそう。

豪快なその人こそ、カラジ号を管理している調教師エリック・マスグローヴ氏だった。

係りの方の通訳によると、

スタッフが世話になった。
傘のお礼に、この帽子をプレゼントしたい。
明日、がんばれ!!

こんな内容。

暖かい人だった。
その時の、氏の手の温もりを僕は今でも覚えている。

そして、このとき頂いたお礼の帽子は現在も部屋に飾ってある。


もう二度と会うことはないかもしれない。
しかし、偉大な名馬を育てた事実と、この時感じた喜びは僕の心から消え失せない。

その宝物をくれた人達が、今、窮地に立たされている。
生活の要である仕事。
障害競馬、廃止の危機なのだ。


もしかしたら、もう間に合わないかもしれない。
また、僕には何かをしてあげられる力も、学もなにもない。
自分自身が、本当に情けなく、悔しい。


ただ、今すぐ僕が出来ること。
それは、折角頂いた発言の出来る場所で、皆さんに少しでもこの現実を知ってもらうこと。

そして、再び何を出来るか考えてみようと思う。